PRIVATE HEROINE





さっきまでの熱気がうそのように静まり返っていた。
ヒールの立てる音が壇上に響き渡る。

今まで知らなかった。
ハイヒールで歩くと、こんな音がするんだ。
視界がいつもとちょっと違う。
少し背が高くなったような気分。
背筋が伸びて、いいカンジ。

―――うん、ハイヒールも、悪くないな。

人気のない、暗い客席。
動かない空気が少し息苦しい。
じっとしていると静寂まで圧し掛かってくる。
静けさに遠慮するように靴音を潜めた。

まだ、胸がドキドキしてる。
頭がくらくらして、意識がどこか遠くにあるような。
ここにいるのが自分じゃないような気がする。

覚えがあるな、この感じ―――
そうだ、修学院でウェスト・サイド物語のマリアを演じたときだ。
あの後も、こんな感じがした。
妙にココロがふわふわして。
落ち着かないけれどちっとも不快じゃなくて。

―――暑い。

手袋を取って、大きなヘアバンドもはずして。
そろそろ着替えて帰ろう―――そう思ったとき。
ステージのもう片方の袖に人影が現れた。

「・・・だれ?」
「・・・いるかなのか?」

聞き違うはずもない声がした。

「春海・・・もう帰ったとおもってた。」
「いや・・・ちょっとごたごたしてたから。お前のほうは?」
「あたしは着替えたらもう帰るよ。」
「そうか・・じゃ、待ってるよ。」
「うん・・・」

一緒に帰るなんて、久しぶりだね―――




淡いブルーの衣装がよく似合う。
日本人にしては明るめの髪。
鳶色の大きな瞳。
そして桜を溶いたような淡い肌色。
むき出しの肩と腕に少し動悸が早くなった。
こういう中途半端な姿が一番堪える。
きっと見ない方がいい―――けれど目を離せない。

出て行こうとしたいるかはその視線に気がついて
顔だけ振り返った。

「・・・春海?」
「あ・・なんでも・・・ほら、急げよ。」

その言葉に促されて出て行こうとしたいるかが再び振り返る。

「あのさ・・・」
「何だ?」

言いかけてステージへ戻ってくる。
暗い講堂。
明かりはステージ上の蛍光灯だけ。
青白いひかりが病院のように寒々しい。

「あのね・・・」

―――え?

気づけば今日の主役が腕の中にいた。

「もう、あんなことしないでね・・・」
「・・・え?」
「あたし、すごくつらかった。春海に他人のような顔をされて。
メモに気づくまでの間、ものすごくつらかった・・・」

―――あの時か。あの時はそれ以外方法がなくて―――

「ね?お願いだから、もうあんなこといわないで・・・」
「いるか・・・」
彼女の語尾は微かににじんでいた。
壊れもののような肩にそっと手をまわす。

無防備なうなじと背が春海の腕の中にある。
不用意に触れていはいけない。
きっと口付けたくなるから。
だから今は、そっとそっと抱きしめるだけ。
指先でくるむように触れるだけ。

涙で溶けそうになった大きな瞳が自分を見つめる。
次に瞬きしたら、きっと頬を伝って流れてしまうだろう。
ゆっくりと、いるかは瞳を閉じた。
涙がまつげをぬらしてあふれようとするそのとき―――柔らかな唇を目尻に感じた。

閉じたときと同じようにゆっくりと目を開ける。

頬が薔薇色なのはメイクのせいじゃない。

「―――すまなかったな・・・もっとうまい方法があったのかもしれないけど・・・
おれも動揺してたんだ、あの時。」
「・・・春海が?」
「買いかぶるなよ。・・・言っただろ?
あいつは・・・東条巧巳ははじめて敵わないって思った相手だって。」
「・・・ウン」

―――だから・・・怖かった。
おまえをとられてしまうんじゃないかって。

―――でも・・・信じてくれた。
すごく、うれしかった

春海の背をぎゅっと抱きしめた。
当たり前のように春海もいるかを抱きしめる。


―――やっと、ここに帰ってこれた。


「明日は―――駅で待ち合わせて一緒に学校に来ようか。」
「ウン!」
「遅れんなよ。」
「わかってるって!」




暗いステージにライトもないけれど、
今このときから
彼らの第二幕が始まる。




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