レイアウトに寄せて思うこと





「きっとわすれない」

この言葉がまさに現実になろうとは
20年前の私は想像だにしていなかったと思います。
そして、20年後、まさに同窓会のように
「いるかちゃんヨロシク」がお好きだった方々と
インターネットを通じて知り合い、語り合い、
時に泣き、時に笑い・・・

20年という歳月は
だれの上にも平等に過ぎて
あの頃子供だった私たちは
確実に大人になりました。

小学生だった私が「りぼん」を読むようになったのはほぼ必然でありましたし
「いるかちゃんヨロシク」とは出会うべくして出会ったのだと思いますが
20年たった今再びあの物語を愛した人々が集まり
時に懐かしみ
時にいまの自分を振り返るよすがにし
共通の思い出を持って集ういくつものファンサイト。
こんなふうに皆さんと知り合えたのは決して必然ではなく
いろんな方の努力や情熱がそれぞれ力を持ってきたからなのでしょう。
連載が終わって何年もたった作品に
これほどの愛情を注げる―――これは
奇跡に近いことなのではないでしょうか。
そして改めて「いるかちゃんヨロシク」という作品そのものの力を実感しています。




そんな中、いるかちゃんヨロシクとしては初のファンサイトを立ち上げたNekoさんに
20周年記念の企画を一緒に、とのお誘いを受けたときは
もうそんなになったんだなぁと改めて20年間の自分の軌跡に思いをはせてしまいました。

深夜のメッセンジャーでのお話し合い。
チャットはどこのものをレンタルしようか、はたまた自分で設置しようか
テーマはどんなのがいいか・・・
時々取り留めなく脱線しながらも
いるヨロを愛するもの同士、とても楽しい時間を過ごさせていただきました。
そして確信しました。
これを大勢の方とやったらもっと楽しいに違いない!と。

役割分担、という意味では
私はページのレイアウトを担当させていただけることに。
いろいろ考えた末
いまの形になりました。

イメージとしては
「卒業」なんです。

あれから二十年たった今
一つの区切りとして
みんなでいるかちゃんを語り合い
そしてそこから「卒業」していけたらいいな、と
そういう思いを込めてみました。

もちろんこれを機にいるかちゃんから離れようとかそういうことではなくて
自分の中に彼らの居場所を作ってやりたいというか。
ほかの方といろいろ話し合うことで
あの頃やりたくてもあまりできなかった
いるかちゃん談義に花を咲かせることが
ちょっと心残りだったあの作品に対してし残したことなのかもしれないな、と
そんなふうに思ったわけなのです。




早春の雪解け、歓送会を終えて鹿々川に寝そべってた二人の姿。
倉鹿の春、水量の増した鹿々川、
自分達のことを少しずつ話し出す彼ら。
痛々しく不器用に踏み出した人生の一歩の、心温まる結末に
今でもよかったね、と言ってあげたくなります。

寒緋桜は私のサイトを、市松模様はNekoさんのサイトを
ちょっとずつイメージとして取り入れてみました。

氷解していく心、
解けていくわだかまり
堰を切ったように流れていく水量も豊かな春の川の音

そして「いるかちゃんヨロシク」の最後を締めくくる
いるかちゃんが列車の中で見た倉鹿の夢。
草むらに懐かしい面々が現れては
どこにいっていたんだ、心配したんだぞ、と語りかける。
それはあたかも
遠い日の自分が今現在の自分自身に問いかけているように。

実在しないところなのに
倉鹿という街はとても懐かしい場所として私の中に存在しています。
もちろん、そこで生きる彼らの姿も。




あれから20年。
そして
これから20年。

先の読めない人生でも
せめて変わることのないものとして
永遠に色褪せない青春の輝きとして
彼らの姿を心に留めましょう。

2004年 4月1日 水無瀬

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