さちえさま作





いつからだろう…

抱きしめられると 恥ずかしくてとまどう自分のすぐ隣に
何もかも忘れて 甘い束縛に酔いしれる
もう一人の自分に気がついたのは。

(この香りのせいかもしれない)

見た目からは分からないたくましい腕の中で 華奢な彼女は そっと目を閉じた。






LAST NOTE






緩やかに雨が降る土曜の午後、期末考査が近い事と、
グラウンドのコンディションがよくないという理由で
部活が休みになった二人は春海の家で勉強していた。

「…雨やみそうにないね…」
先ほどから外を見ていたいるかが言った。

「…そうだな…」
ペンを動かす指先を止める事なく春海は答える。

「…ねぇ…」
「ん?」
「…ひと休みしない?」

春海は動きを止め、深くためいきをつくと
「あのなぁ…、30分前におやつ食べたばかりだろう?」
いるかは軽く口を尖らし
「別におやつ食べようって言ってないじゃん!ひと休みしようっていったんだよ!」
「どう、違うんだよ…」
あきれかえる春海を後目に、いるかはペンを投げた。
朝から苦手な数学に取り組んでいた、いるかの集中力は、とっくの昔になくなっていた。
「あーあ、数学ってなんでこんなに分かんないだろー…」
「…おまえが分かんないのは数学だけじゃないだろう?」
ポカッ
「いってーなぁっ!」
「なんだよっ!がんばってるのに」
春海は頭をさすりながら、再びノートに向かい始めた。

暇そうに部屋を見渡していた、いるかはふと思いついたように
「そーだっ春海ってたまに香水つけてるよね?なんてゆう香水?」といった。
「何だよ?藪から棒に」
「いーから!なんてゆう名前なの?ブランドは?」
先ほどまでとは違い、いるかの目は輝いている。
何故だか照れ臭くなった春海は
「シャネルのエゴイストプラチナムだよ」と小さく答えた。
「へぇっ!シャネルだったんだぁ。なんか意外。…でもエゴイストってのは春海らしいね」
「…どうゆう意味だよ?」
別に〜といるかはとぼけた。
「ねぇねぇ、ちょっとでいいからつけさせてよ」
いさぎよくて、少し野生的で官能的なその香りをいるかはとても好きだった。
そして春海によく似合うと思っていた。
名前を知りたい、つけてみたいと思ったの は「春海の香り」をまとえば、お互い忙しくなかなか会えないときでも、すぐ近くにいつでも春海を感じられる、そんな気持ちからだった。
春海から角張った小さなビンを受け取ると「シュッ」と手首にひとふき付けてみた。
そのまま顔の前にかざす。

「…ん〜?」
「どうかしたか?」
いぶかしげに春海が聞いた。
「ん…、なんか春海の匂いと違う」

不思議そうないるかに
「そういえば香水っていうのは三段階に香りが別れるって聞いたことがある。
香水そのものの香りをトップノート。
数時間たつと、付けた人独自の香りになるラストノート。
だから俺の匂いっていうのはラストノートなんじゃないかな。」と説明した。

「じゃああたしがいくら付けても春海と同じ香りにはならないんだね…」
〜せっかく寂しさを紛らわす方法思いついたのにな〜と
ひそかにためいきをつく。

ふと、軽い圧迫感に襲われ、気がつくと春海の腕の中だった。
「え?な…なに?」
「…そんなに俺の香り…好き?…」
うっとりしたようにつぶやく春海の腕の中から、真っ赤な顔をして逃げようとするいるか。
「ずっと…」
「えっ?」
「ずっとこうしてれば、おまえも俺と同じ香りになるよ…」






この香りに包まれる度 心も指先も髪の毛ですら彼から離れたくないと悲鳴をあげる。
もどかしいほどの甘い切なさをもう少しだけ味わっていたい…
彼女はそっと目を閉じた。


(終)


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