まどかさま作





『8月31日』


「立てるか?」
武士道水練大会で俺の分の握り飯まで平らげたいるかは途中で力尽きてしまった。
「もう平気だよ」
いるかは一人で立ち上がった。
いるかが意識を取り戻した頃には夕暮れになっていて、鹿々川の景色を赤く染めていた。
他の連中はとっくに引き上げ、河原には俺といるかの2人だけが残っていた。
急いで着替えないと日が暮れてしまう。
だけど、俺たちは随分のんびりしていた。
夏の終わりを名残惜しむかのように。……今、この時間を惜しむかのように。
いるかが立ち上がって更衣室に向かい始めた。
俺も続いて後を追う。
横には寄り添わない。だけど、お互いの気配を肌で感じる距離。
今の俺たちには、これくらいの距離が丁度いいのだろう。
近すぎず、遠すぎず、まるで今の俺たちの関係を表すような距離感。
その距離が今は心地良かった。・・・・・・少し物足りないと感じないかと言えば嘘になるが。

ピー……、カタン、カタン、カタン…………。

何度も聞き慣れた、橋を渡る列車の音色。
その音はいつもより鮮明で、より物悲しく聞こえた。
……夏の終わりは、感傷的な気分になる。
「…………」
今年の夏は……。
「あの音さあ、何となく哀しく聞こえるね」
とっくに見えなくなった列車を見送りながら、いるかがふいに呟いた。
同じ事を考えていたので俺は少し驚いた。
「……そうだな」
夏の終わりを告げるように静かに鳴り響く列車の音は、誰の耳にも切なく響くのかもしれない。
今年の夏が終わる。
いつもと同じように、毎年恒例の武士道水練大会が行なわれ、倉鹿の夏は幕を閉じる。
……いつもと同じようで、いつもとは違う夏。
「……春海?」
いるかが立ち止まって、こちらを振り返った。
「何だ?」
「どうかしたの?」
いるかの言葉の意味がわからなかった。
「何が?」
「何か元気ないから……。何かあったの?」
いるかが少し心配そうに俺の顔を覗き込む。内心、俺は驚いていた。
普段は恐ろしく鈍いくせに、変なところで鋭いんだな。
何となく他人事のように思った。
だが、表情をやわらかくして答えた。それはほとんど無意識に近かったような気がする。
「何でもない。冷えてきたから、早く着替えようぜ」
俺はいるかの頭にくしゃっと手を置いて歩き出した。
ほとんど渇き始めたいるかの髪は、それでもかすかに冷たかった。


着替えをすませた俺たちは、いつものように一緒に帰る。そう言えば一緒に帰ることが、いつの間当たり前のようになったのだろう。
それほど前の事ではないはずなのに、随分昔の事ように思う。
「あれ、おばちゃん。今日は遅くまで開けてるんだね。とっくに閉まってるかと思ってた」
いつも学校の帰りに通る駄菓子屋だ。いるかの言う通り、日も暮れたこんな時間まで開いているのは珍しい。
「ああ、いるかちゃん。いつも元気だね。今日は夏休みだから夏の商品を整理していたんだよ」
「ふーん。でも、花火とか結構たくさん残ってるよね。これってどうするの?捨てちゃうの?」
「・・・そうだねえ。来年は新しいのが入るからね」
「じゃあ、あたしそれ全部買うよ!!」
「ええ!?全部かい?」
「おい、いるか?」
予想もしなかった言葉に、俺も駄菓子屋のおばさんも驚いた。
「その代わり、うんと負けてよね!!」


大量の花火を抱えて、いるかは歩き出した。
「どうするんだよ。そんなに花火買って」
「丁度日も暮れたしさ。今からやろうよ」
「今からってまさか……、その花火全部を?」
「そうだよ。今日、夏休み最後の日だもん。パーッとやろうよ」
「どこで!?」
「学校でだよ。決まってるじゃん」
何を基準に決まっていると言うのか分からないが、いるかはさも当然のように答えた。
「学校で花火やろうなんて言い出すの、初めてじゃないんだろう」
そう言うと、いるかはギクッとした。
「へへへ……まあね。あの時は花火やる前から騒ぎすぎちゃって、先生に見つかって、こってり絞られたなあ」
「当たり前だ」
呆れたように返した。
「何だよお。そういう春海だって、何だかんだ言いながらついて来たくせに。止めるんだったらついて来ないでよね」
「別に止めるとは言ってない」
そう言うと意外そうな顔をして俺を見た。
「……春海って、時々意外なこと言うよね」
「そうか?誘ったのはそっちだろ」
「そうだけどさ。……あ、バケツって鹿鳴会にあったよね?」
切り替えの早いいるかは、すでに頭の中は花火のことで一杯のようだった。
バケツに水を張って、いるかはロケット花火に火をつけた。
派手な色の火の粉が燃えて、バチバチッと広がった。
「ボーっとしてないで春海もやりなよ!!折角たくさん買って来たんだから!!」
舞い上がる火の粉と、それに照らされたいるかの笑顔に、暫し見とれていた事にその時気が付いた。
……どうしているかが俺を花火に誘ったのか、その理由は分かっていた。
胸の中が柄にもなく熱くなる。
今年の夏の出来事が頭の中で駆け巡った。
お袋の浴衣を着たいるかの事。
徹の怪我の事。
県大会の事。
……東条巧巳にサヨナラホームランを打たれた事。
そして、いるかの初恋の男の事。

今年の夏は、やけに熱かった……。

いるかの初恋の男がこの町にいると聞かされた時、その男が俺だったと分かるまでのわずかな時間だったが、その時俺の中で焦げるような痛みが走った。
今まで経験した事のないその感情が、嫉妬だと気が付いたのはいるかの家を出てからだ。
彼女が愛しい。
……そう思った。

「コラ!!君たち、何をやっている!?」
突然、背後から声が聞こえた。
この位置からだと顔は分からないが、恐らく副院長だ。
「ヤ、ヤバイ。見つかったよ!!」
「こっちだ!!」
いるか、と名前を呼びそうになって慌てて言葉を飲み込んだ。
「あっ!!待ちたまえ、君たち!!」
副院長が走り出して、俺たちを追ってきた。
俺といるかの足なら引き離す事は簡単だが、このままだと顔がバレつ可能性が高かった。
俺は咄嗟に手元にあったねずみ花火をつかんで火をつけた。

パンッ!!パンッ!!パンッ!!

「ヒエッ!!」
ねずみ花火特有の激しい音が、あちこちで響いた。
驚いた副院長が腰を抜かしてひっくり返った。(良い子は真似しないように!!)
そのスキに、俺たちは駆け出し、正面の塀を軽々と飛び越えた。


「たくさん買ったのに、ほとんどできなかったなあ」
「何言ってんだ。捕まらなかっただけ、マシだと思え」
とは言え、副院長にバレなかったとも一概には言えないので、逃げ切れたかどうかは分からない。
……まあ、いい。その時はその時だ。明日になれば分かる事だろう。
「でも楽しかったよね」
「ああ」
「来年もやろうね。今度は鹿鳴会のみんなや、銀子や湊たちも誘ってさ」
「うん。また来年のこの日に」
「約束だよ」
「ああ」
そう約束を交わして、俺たちは笑いあった。
「ああ、それと……、お前、来年は野球部の応援に来いよ」
「野球部?そう言えば春海って野球部も掛け持ちでやってたっけ」
……これだ。
俺への興味なんて、まだそんなものなんだろう。
……まあ、いいけどな。
「いいよ。ガクラン着てさ、派手に応援してあげるよ!!勿論、応援団長はあたしだからね!!」
「忘れるなよ」
「忘れないよ。……あ、そうだ」
思い出したように、いるかがこっちを振り返って正面から俺を見た。
「来年の武士道水練大会は、絶対にあたしが優勝するからね!!」
いつもの勝気な笑顔を見せて、いるかがVサインした。
今年の夏は、そんな風に幕を閉じた。


FIN


良い子は学校で花火なんかやってはいけません。当然ねずみ花火を人に向けてもいけません。絶対に真似しないように!!(笑)
ちょっと切なさの濃度がやや濃い目になりましたが、次の夏を思うと、あのシーンは何やら切ない気持ちになるんです。
彼等にとって、8月31日という日は特別だと思います。



「いるかちゃん応援部」の先輩に当る三つのサイトのひとつ、「IRUKA★LOVE★SIDE」のまどかさん作のお話です。
初めてサイトにうかがったときは原作の間をうまく掬うようなお話に連載時のように胸がときめいてしまいました♪
そして、初めて感想を差し上げたのがこの「8月31日」。
翌年のこの日のことを思うと、はしゃいで回るいるかちゃんたちの姿にもどこか切なさを覚えます。

春海にとっては生まれて初めてであろう挫折を覚えた夏。
いろんなことがあった夏を締めくくる花火は先生に見つかってしまったけど、二度と繰り返すことのない季節の象徴のようだと思いました。
恋人でもないけれどさりとてただの友達というには近い、二人の距離。
最後に見せたいるかちゃんの笑顔が、倉鹿編最後の泣き顔と重なって、何度読んでも胸が締め付けられるようです。

まどかさん
すばらしいお話をありがとうございました!

水無瀬


★HOME★