未来への扉
夜の闇の中を走る電車は、規則正しいレールの音を響かせていた。 隣で眠る愛しい少女は無防備に自分に体を預け、深い眠りについていた。 時折、笑みの洩れる口元は、楽しい夢を見ていることを思わせた。 この数日間、少女を求め探し歩いていた。 つい数時間前、彼女が発した言葉と、自分が言った言葉。 それは疲れを一気に吹き飛ばし、抱いていた不安を、消し去った。 漠然とした未来への希望で胸が踊った。 ただ、親にレールを引かれたと思う反抗心は隠せない。 「うん、大丈夫だよ。だって、もう何も心配することないんだもん。 じゃまた、学校で!」 明るい笑顔。 彼女の家の近くで、別れようとした。 彼女は元気に手を振り、冬の寒さを吹き飛ばす、軽やかな足取りで家の方に駆け出す。 後ろ姿を見送っているつもりだった俺は、次の瞬間、彼女を追い駆け出していた。 玄関を入ろうとする彼女に追い付き、娘の帰宅を喜び出迎えた彼女の両親と鉢合わせ になる。 「き、君は…」 彼女の父親は、娘の後ろに立つ俺に、明らかな反感を持ったようだった。 「おはようございます。 突然申し訳ありません。今日はきちんと挨拶をしたくて来ました。 僕は、里見学習院1年の山本春海と申します。 中学の頃より、いるかさんとおつき合いさせていただいています」 明らかに、狼狽した彼女の両親にそこで言葉を区切ることになる。 「な、君は… いるかには、今… いや、そういうことじゃなく… 一体どういうことなんだね」 「春海。待って、どうして?」 いるかも、予想しないことだったのだろう、彼女の当惑した声が聞こえて来た。 「ごめん。いるか、でも、ちゃんと挨拶しておきたくて…」 それだけ彼女に伝え、 「いるかさんより、話は聞いています。 ただ、僕の存在を知っていてもらいたくて、今日は、来ました。 驚かせて申し訳ありません」 少し、平常心を取も出したのか、彼女の父は、 「君はそれでどうしたいのかね? まだ、高校1年ということだね」 「はい…、まだ僕には何の力もないのはよくわかっています。 しかし、何もせずにいることはできませんでした」 周りの人々が言葉を失う。 しばらくの間があった。 「今日はこれで失礼します」 そう言って、頭を下げ、その場を立ち去る、 彼女の家庭に波紋を投げかける結果になることは目に見えていた。 しかし、愚かな事をしたとは思わない。 その日、いるかは案の定、遅刻して来た。 「いるか、今朝のこと…」 放課後、役員会の前にいるかに声をかけた。 「あ、うん」 『大変じゃなかったか?』 自分で大変にしておきながら言うことではないようにも思えたのだが… 「もう、本当に大変だったよ! あの後、質問攻めで… でも、私、自分でお見合いは受けるって言ったよ」 『それでいいんだよね』真直ぐに俺を見つめながら彼女は、心の奥を覗こうとする。 「もちろん、…すまなかったな」 「春海、聞いていい? 何で、急にあんなこと言ったの?」 「それは…」 「おい、おまえら、何やってるんだよ!! もう、他のやつら揃ってるんだぜ!」 来るのが遅いので、探しに来たのだろう、巧巳がそこにいた。 「おまえらなぁ 仲良く二人で一週間も休みやがって! こっちはしなくていい仕事が増えたんだぜ。 議題だってたまっているし、込み入った話は休んでいる間にしやがれ!」 時計を見れば、役員会の開始時間をずいぶん過ぎてしまっていた。 役員会が終わってからも、休んでいた間のツケは払わなければならなかった。 思ったより量は少ない、巧巳達が可能な範囲でこなしていてくれたのだろう。 友人達に感謝しつつも、手を止めることが出来ない。 いるかの方も今日は真面目に仕事をこなしていた。 書類の整理も一段落した頃、 「あの、春海、いい?」 いるかが遠慮がちに聞いてきた。 「あのね、もしかして、本当は春海…」 おずおずと、自信無さげに、いるかは精一杯言葉を選んでいるようにみえた。 「あぁ、あの、なんで、あんなことしたのかだよな」 なんとなく気まずく、俺は席を立ち、窓の方によった。 「親の力でおまえを縛りたくなかったんだ」 窓辺に立ち、いるかの方を振り向く、彼女の瞳にはまだ不安の色があった。 「俺は、その時がくれば、自分の口から伝えたいって思ったから… ちゃんと自分の言葉で、いるかの御両親にも自分を認めてもらいたかったんだ。 でも、だめだな、ただの高校生にはそんな力はないよな。 すまない、嫌な思いをさせてしまって…」 「じゃ、春海は嫌じゃないの?」 思ってもみない言葉だった。 「考えたんだ、何も言わなければ、そのままお見合いして… でも、もしかしたら、春海、私とのことって考えられないのかなとか…いろいろ…」 頬を染め俯きながら、ポツリポツリと呟くように話す。 思ってもみなかった、彼女の考えの行き着く先… どんな不安を抱え今日一日を過ごしたのだろう… 俺は、彼女の肩に手おき、見上げた彼女の唇に自分のそれを重ねた。 「ごめん、おまえがそんなふうに考えるなんて思わなかった」 『愛してる』新潟駅でいるかに告げた思いが、心を熱くする。 「いるか」 深く、深く呼吸をする。 「まだ、ずっと先のことになると思う。けど…、…いつか…結婚しよう」 いるかは目を見開き硬直した。 今は返事を期待する時じゃない、けれど、顔を真っ赤にしたいるかは、小さく『はい』 と言った。 「いるか、用意は出来たか」 朝から、落ち着きのない、両親が、今日何度目かの言葉をかける。 今日は、私のお見合いの日。 春海の『挨拶』から、二人とも彼のことに触れようとしない。 あの日は、いつからの付き合いだの、お前はどう想っているかだのと、うるさく聞い てきたが、自分でお見合いを了承すると、『本当に、それでいいのだね』と言ったき りだった。 「出来たよ」 白地に淡いピンクの花模様の振り袖、薄く化粧をし、髪を軽く結わえる。 初々しさを強調したような装いだ。 「馬子にも衣装ね」 母は吐息まじりに、娘の成長ぶりに目を細めた。 「いるか、あちらにお会いする前に、話しておきたいことがあるんだが」 父は、いつになく真剣な表情で、向いに腰を下ろし、 「母さんとも話しあったのだが、今日のお見合いはお断りしようと思っている。 お見合いを受けると言ってくれたことには感謝しているよ。 だが、お前がこんなに素直に今日を迎えるとは思わなかった。 それから、山本君とのことは、まだ、許す許さないの話ではないと思っている、彼も 言っていたように、存在を知っているということに留めるつもりだ。 それで、いいね」 「えっ、待って、とーちゃん」 父は立ち上がりながら、 「会場についたら、先方にお話するよ」 と部屋を出て行った。 会場につくと外務大臣も、春海の父も来ていた。しかし、春海はその場にいない。 なんでも家の事情で遅れるらしい… 「普段はこのようなことのないのですが」 外務大臣がそれを受け、 「見た目も、高校1年とは思えない程しっかりした。自慢の御子息なんですよ」 私はそんなこと知っている。 こんなおじさんより、ずっと… 『家の事情』ってなんだろう… 視線を落とし、俯き加減で様子を伺う。 軽く挨拶を交わし、進められるまま席に着いた。 席に着くなり、父鉄之介は話を切り出した。 何かを話し始める前にと思ってのことだったのだろう。 「誠に申し上げにくい事なのですが、娘はまだ高校1年ですし、今回のお話は、白紙 に戻していただけないでしょうか? このような席を設けていただき、…」 言葉を続けようとした時、ノックの音とともに春海の声が響いた。 「遅くなって申し訳ありません」 「君は…」 振り返った父は、驚きの色を隠せない。 いつもは口のたつ母も、二の句をあげることができないようだった。 いつもとは違う、スーツ姿の春海。 招き入れる大臣と代議士。 「今頃この子は…、息子の春海です。 しかし、残念です。息子の相手はお嬢さんだと思っていたのですが…」 「えっ、あの…」 驚愕する父に、春海は落ち着き払った物腰で、 「よろしければ、少しお話させていただけませんか?」 と、告げる、その言葉を受け、外務大臣も、 「おやおや、そうですな。折角このような席を設けたのだし… いるかさん、如何でしょう? 少しお時間をいただいてよろしいですかな?」 「はい」 視線を伏せたまま、口数少なく返事をする。 父の視線は春海と私を交互に追っていた。 「実は、弟が来ているのですが、今日はどうしても付いて行くといって聞かなくて…」 「春海、なんだね。こんな時に」 春海は父の声に、『仕方ないでしょ』というふうに肩を竦めてみせた。 今まで、着いて行くという徹を説得していたのだろう… でも、彼に似て頑固なところのある弟の説得は容易なものではなかったようだ。 相手が私って言っても、信じられないだろうし… 「それはそれは、では、御一緒に。仲のよい御兄弟ですね」 春海は、扉の方に向き、弟の名を呼びながら、ホテルの重い扉を開けた。 「徹」 弾かれたように入ってきた少年は、後ろ向きに座る私の姿を捕らえ、駆けてくる。 「いるかおねちゃん! よかった。本当にいるかちゃんだ!」 「えっ?」 外務大臣と春海の父の驚きの表情、お構い無しに席から立ちかけた私に飛びついてく る、少年。 「徹は彼女によく懐いているので…」 仕方無さそうに微笑む春海は、ゆっくり私の方に歩いてきた。 「父さん、ごめんね。それから、ありがとう」 何に対しての礼か、わかってくれただろう、春海も頭を下げた。 父は、笑い出しながら、『そうか』と言った。 その日、両者異存無しということで話は進められた。 帰り際に、いるかの父に呼び停められた。 「君は、その、あの時いるかの事を探して連れ戻してくれたのかい?」 いつのことを言っているのかはあきらかだった。 黙って頷く。 「そうか、迷惑をかけてしまったね。ありがとう」 「いえ」 「君は、中学は修学院だね?」 「はい」 「実は、私の父、…修学院の院長からあの時電話をもらってね。 『いるかのことは心配いらん。信用できる奴が追い掛けて行きおった。 あいつが、追って行ったのなら問題は無い。おまえは黙って、帰って来るのを待って おればいい』と笑っていたよ。 あの時は気が動転していて、よくわからなかったのだが、君のことだったんだね」 『これからもいるかのことよろしく頼むよ』 差し出された手を握る。大きな暖かい手だった。 「へへ、しちゃったね。お見合い…」 翌日、いるかと待ち合わせをし、近所の公園へ出かけた。 「あぁ」 相手が分かっていても、あぁいう場は落ち着かない、 いるかもかなり緊張していたのだろう、今日の顔はすっきりと、明るい。 「みんなびっくりしていたね」 「そりゃなぁ、見合いのはずが、…両家の顔合わせみたいになっちまったし」 「えっ、あぁ、そうなるか。…学校のみんなには内緒かな?」 頬を染め、少し俯く。 『学校のみんな』、俺としては大々的に発表してしまいたいぐらいなのだが…。 「どっちでもいいよ、俺は、でも、理事長ぐらいには親父の方から話しがいくかもな」 「そうだね、かもめが今度お祝してくれるって」 「昨日、まのかから電話があったよ。 おめでとうって、当分こっちに帰ってくる予定はないみたいだけど、おまえによろし くってさ。 なんか、妙に喜んでいたな」 「懐かしいね。また、みんなで会いたいな」 風が彼女の髪を弄びながら過ぎていった。 「いつでも会えるさ」 俺達が二人でいれば、きっと… 「ねぇ、そこに教会あるの知ってた?」 いるかが指差す方向に、小さな十字架を飾った、白い建物が見えた。 「あぁ」 「今から行ってみない?」 「いいよ」 ゆっくり、体の向きを変えながら歩く。 彼女の歩幅に合わせながら歩くと、いままで気付かずに過ぎていた景色を目にするこ とが出来た。 「小さな教会だね。でも、扉、大きいね。開いてるのかな?」 「開いてるんじゃないか? あ、ほら」 教会の大きな扉を手で押してみると、なんなく開く、 「綺麗、オゴソカな感じだね」 小さいながらも、教会の持つ独特の雰囲気を感じることができた。 昨日の今日である、特別意識をしなくても、気持ちがそちらに向く。 「…こんなところでも、いいな」 「何が?」 「何がって… おい走るなよ」 気付いてか無意識か彼女は、横をすり抜け祭壇にたった。 「ここが祭壇か。こんなところで、結婚式、いいね」 祭壇に向いたまま、サラッと口にした。 後ろを向いているので、表情を見ることができない。 でも、彼女がそういうふうに言うのが嬉しかった。 まだ、迷いはあった。 早過ぎないか、急ぎ過ぎてはいないか、自分達の年令を考えれば当たり前のこと、し かし、彼女の様子からはそのような気配は微塵も感じられなかった。 「…うん… でも、もっと大きいところじゃ無いと、友だちみんな呼べないな…」 祝福されたい、できるだけ大勢から、自分達の未来を… 「そうか… そうだね」 「でも、普通、祭壇で待つのは男の方なんだぜ」 ゆっくり、彼女の方に近付く、『バージンロード』いつか彼女がこの道を通り… 俺の手をとる。 「えっ、あれ… へへへ」 俺を迎えながら、照れたように笑う。少し染まった頬が愛らしい。 祭壇に二人で並んで立つ。 高い窓から漏れてくる光がキラキラと舞落ちる。 「いるか、もう、黙ってどこにも行くな」 前を向いたまま、自然と口をついて出た言葉、攻める気持ちはないが、残される苦し み、それはもう、味わいたくなかった。 無鉄砲さは、彼女の魅力でもあるが、もう何度探し求めたことだろう… 彼女がいなくなる度に思い知らされる、自分の中の彼女の占める割り合い、彼女を失 う事の苦しみ、恐れ。 いつも傍にいてほしい。自分を必要としてほしい。 それは切実な願い。 いるかは下を向いて小さく『うん』と呟いた。 「予行演習するか?」 一瞬、きょとんとし、意味の分かった途端に、耳まで真っ赤になる。 「えっ、もう、何言ってるの? さぁ、帰ろう」 その場から逃げ出すように行こうとする彼女の手をとり、反対の手で彼女の頬に触れ る。 「待てよ」 軽く合わせた唇に、彼女の抗議を覚悟したが、何も言わなかった。 頬に触れていた手を離し、両手で彼女の手をにぎり、今度は深く唇を合わせた。 「扉、重いね」 「おまえなら、楽々だろ。っいて」 「この扉から出ると、祝福してくれるみんながいるんだよね」 「あぁ、そうだ。きっといつか、…」 いつか、きっと… 遠くない未来に… |
青い空さん素敵なお話をありがとうございました♪ 水無瀬拝
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