じんさま作





途惑いの行方




「いーだろうが、山本!ケチケチすんなよな」
「そうそう。挨拶だけして帰るからさ」

二人の友人のあまりのしつこさに、春海はため息をついた。

「っだー、もう、勝手にしろ!」

今日は、大学の講義が終わるこの時間、新宿駅の改札前で、いるかと待ち合わせていた。
・・・が、ここまで帰り道が一緒になった彼の友人が、どうしても「彼女」に会いたいといって きかないのだ。

「少し早く着きすぎたな・・・」

そうつぶやいて、春海はいるかが降りてくるであろう、ホームからの階段下に目を凝らす。
とはいえここは、複数路線が絡み合う、ターミナル駅。
ホームは幾重にも連なり、当然、長い地下通路も大勢の人であふれかえっている。
改札から遠いその位置に、小柄な彼女を見つけることは難しい。

ふと、その人垣の隙間から、いるからしき女の子の姿が見える。
隣にもう一人、長身の男が一緒のようだった。
彼女の大学の友人だろうか。
男が、別れ際、いるかの頭にくしゃっと手を置いた。

刹那、胸の内に鈍い痛みが走った。
・・・あの男、いるかの髪に、触れた。
・・・自分が普段するように、昔からよくそうしてきたように。

いるかはすぐさま男に軽く手を振って、踵をかえし、こちらへ向かって駆け出してきた。
時折、人の波にのまれながら、息せき切って走ってくる。
約束の時間にはまだ早い。そんなに急いで転びでもしたら・・・
春海は、視界に入ってはまた見えなくなってしまう彼女から目が離せない。
ようやく改札口付近までたどり着くと、いるかは自分を見つけて手を振っていた。
ほっと息をついた途端、春海の胸の内に、先程覚えた痛みがぶり返してくる。

・・・あの男はどうしただろう・・・

気になって再び遠くを見遣ると・・・立ち止まってこちらをじっと見ている男の姿が目に入ってきた。
その目は―――いるかの姿を追っていた。



「春海、ごめんね、待った?」
「いや、俺のほうが早すぎた。まだ時間前だぜ」
「うん・・・」

興味津々といった面持ちで、彼女の顔を見つめていた二人組みに気づき、
いるかはちょっとかしこまったように身構えた。

「ええと・・・」
「ああ、俺の大学の友達。どうしてもお前に会って帰るってきかないんだ」

「はじめまして」
いるかはにっこりと微笑んで、肩を窄めながら、軽く頭をさげ、そう言った。

「あ、こちらこそ、はじめまして」

一人は小太りで黒縁の眼鏡をかけた愛嬌のある男、
もう一人は背は高いがえらくほっそりした色白の男だった。
これまで春海の周囲にいた彼の友人達、 ・・・鹿鳴会のメンバーや巧巳などと比べてしまうと、少々見劣りしたが、
二人とも頭はキレるのだろう、理知的な目をしていた。

「じゃあ、みんなでご飯だね」
「いや・・・」
否定しようとする春海の言葉を、容赦なくその友人たちが遮った。

「すみませんね、なんか急にお邪魔しちゃって・・・」
「ほんとに、ご飯だけご一緒させてもらったら、帰りますから・・・」

「・・・お、お前ら〜、顔見たら帰るって、さっき!」
「まあまあ、山本、せっかく彼女もこう言ってくれてることだし、な?」
「・・・」
あきらかに不満気な春海を、いるかが促す。

「いいじゃない春海。わたし春海の大学のことなんかも聞きたいし。ね?」
「仕方ないな・・・」

離れているときの自分の様子を知りたい・・・
そんな風に言ってくれた彼女の気持ちがうれしくて、彼もようやく承知した。



「へえー、じゃあ、山本とは中学から?」
「えへへ・・・最初はケンカばっかりしてたんだよお」
春海の心配をよそに、食事を囲んで、いるかと彼の友人たちは
すっかり打ち解けた様子だった。

「しかし、いいよなあ。俺なんか、中学高校と、ずっと勉強勉強でさ、
彼女つくってる暇なんかなかったぜ」
「なんだよ。それじゃまるで俺が暇だったみたいじゃないか!」
「そーいうことを言ってんじゃないだろう?」
彼らのそんなやりとりを、いるかは微笑ましそうに眺めていた。

「いーじゃん、彼女これから見つければ」

「それがねえ、かわいい女の子は結局みんなこういう色男のところに集まってっちゃうんだもんなー」
眼鏡の男が、春海のほうを見ながら、皮肉っぽく言った。

「へえ、春海って大学でもやっぱり人気あるんだ・・・」
いるかは平然を装って言ったつもりだったが、わずかに表情が翳ったのが
そこにいた誰の目にも明らかだった。

「あー、でもコイツの場合まったく心配いらないよ、いるかちゃん。
こいつのその・・・そーいう女の子達に対する態度の冷たいことったらないんだから」
「まったくだ。傍で見てて気の毒になってくるもんなあ」
二人は少々表情を引きしめて、口々にそう言った。

ここまで、冗談じみた話ばかりしていたこの男たちの、そんな言葉が、
いるかには、なにか心強く感じられた。

「山本お前、明日から背中に紙貼って歩け!
『僕には将来を誓った女がいるので、寄ってこないでください』ってな。
それが、世の女性たちのため、俺達のためだ!」
「・・・馬鹿か、お前ら・・・」
「あっはっはっ!」

他愛ない話をしているうちに、目の前の料理の皿もいつの間にか空になっていった。


  「山本ー、えらくかわいい子じゃないか、お前の彼女」
  いるかが席をはずした隙に、二人がそういって春海をからかう。

  「しかし、あれだけかわいいと・・・言い寄ってくる男も多いんだろうな」

  「・・・さあね・・・」
  春海は、駅で見た男のことを考えていた。
  世の中には、見なくていいことだってある。
  だとすれば、あれは間違いなく見る必要のない光景だった。
  いたずらに気持ちが乱される。


「じゃ、また来週な」
「じゃあ、いるかちゃん、またね」

駅の方に去っていく二人を見送って、まだ手を振っているいるかをよそに、春海は早々に歩き出した。
彼女も慌ててあとを追う。

「へんな人たち。おもしろかったけど・・・でもあれで頭はいいんだもんね、何か不思議」
「・・・・・・」
「なーに、春海怒ってるの? 二人でご飯食べたかった?」
「別に。怒ってなんかねーよ」
「だって機嫌悪いじゃない」
「なんでもない」

いるかは諦めて、しばらく黙っていることにした。

このあとは、普段なら適当な喫茶店にでも入ってお茶を飲みながらゆっくりするところだ。
しかし春海は、飲食店の並ぶ通りを抜け、いつもとは逆方向に向かって歩いていた。
黙って後をついていくいるかも、しだいに不安になってくる。

「ねえ、春海、どこ行くの?」
「いいから、ちょっと着いてこい・・・」



着いたところは、駅から少し離れた場所に位置するオフィスビル。
まだ所々、明かりのついている窓もあったが、外はもう閑散としていた。
昼間は社員たちの憩いの場として賑わっているであろう、敷地内の広場も
ところどころ植え込みを照らすライトが灯されているだけで、薄暗い。

「ねえ・・・こんなとこ黙って入っていいの?」

春海は、さらに暗がりになっている、コンクリートの柱の陰にいるかの手を引いていく。

「春海?」

柱より先は行き止まりになっていて、黒い鉄製の扉が一つあるだけだった。
扉の向こうに何があるのかはわからないが、通路の天井の明かりも落ちていて、少なくともこの時間、人の出入りはなさそうだった。

太い柱に隠れるように、春海はいるかを壁際に追いやる。

「はぅ・・・」
背中を強く壁に押しつけられて、彼女は苦し気な息をもらした。

春海は、少し乱暴にしたことを詫びるように彼女の頭を撫でる。
そして壁についた片手で体を支え姿勢を低くすると、俯いたままの彼女に口づけた。
咄嗟に彼の体を押し返そうとした彼女の腕から徐々に力が抜け、
きゅっと引いていた顎がしだいに上を向いていく。

・・・こんなところで・・・
警備員が見廻りにこないとも限らない。
下手をしたら、どこかに監視カメラがあるかもしれない。
そんなことを考えると、いるかは落ち着かない気持ちだった。
いつもなら、春海のほうが、こういうことを真っ先に気にするはずなのに・・・。
彼らしくない、行動の理由が見えず、いるかは一層不安を募らせる。

「あいつらがさ・・・」
彼女の背中に両腕をまわして、春海は言った。

「・・・さっきの?」
「ああ。しきりにお前のこと褒めてたよ。かわいい子だって」
「あはは、あの人たち、あたしがこんなおてんば娘だって知らないから・・・」
照れたようにいるかが言ったが、春海は構わずつづけた。

「あれだけかわいかったら、言い寄ってくる男も多いだろうって・・・」
「・・・いつの間にそんな話したの?」
「お前が手洗いに立ったとき」
そういえば、あの後くらいからだった。春海がどこか不機嫌そうに見えたのは。

「そうなのか?」
「え?」
「だから・・・言い寄られて困るようなことがあるのか?」
「そんなこと・・・」
・・・なくはなかった。


思えば中学・高校時代、まわりの多くの男の子たちは、自分のことを
女として扱ってくれていなかったように思う。
・・・ほんの一握りの例外はあったけれど・・・。
いろいろと、派手なことをやってきたのだ。思い返せば・・・無理もなかった。

しかし、大学に進んで状況は一変した。
さすがにいるかももう、乱暴に人に手をあげるようなことはしない。
口の利き方も、いく分か女らしくなったと、自分でも思う。
人前でその超人的な運動能力を披露する場もほとんどなかったから、
もう昔のように、「バケモノ」などと恐れられることもなくなった。

そうなった今、自分に想いを寄せてくれている者が
少なからずいることを、いるか自身もわかりはじめていた。
そして、何かある度に、慣れないことに困惑している自分がいる。


「・・・ふーん、やっぱりあるんだ」
押し黙っている彼女の様子をみて、確信したように春海が言う。

「さっきの・・・駅で一緒だった男もそうなんじゃないのか?」
「え?・・・あっ・・・」

・・・図星だった。
彼には先日、唐突に交際を申し込まれたばかりだった。
突然のことに案の定、おろおろしてしまったけれど、
春海のこと、その気がないこと、ゆっくり説明して、断った。


    
「そっか。残念だな・・・まあ、何となく聞いてはいたんだけどね、君に彼氏がいること。やっぱりダメ、か・・・」
「・・・」
「ま、これからも仲良くしてよ。友達でいいから、な?」
「う、うん・・・」


友達・・・あいつがそう言ったのだ。今日だって、講義室を出るときに声をかけられて、一緒に帰ってはきたが、あいつは何事もなかったかのようによく喋り、よく笑った。
わたしのほうがドキドキして、変に意識してしまっているのだ。
それにしても、春海に見られていたなんて・・・。べつにやましいことは何もないけど。


「あの・・・、彼、新宿乗換えだっていうから・・・最後の授業が一緒で・・・」
「いるか・・・」
そんなことを聞いているんじゃない、春海はそう言いたいのだろう。
春海には敵わない。誤魔化そうとしても、すぐに見破られてしまう。

「・・・でも、ちゃんと断って・・・いまはただの友達だよ?」
春海は大きく息を吸い込むと、深いため息をついた。

「あいつなあ・・・お前と別れた後、振り返ってずっとお前の背中見送ってたぞ?」
「・・・駅で?・・・春海それ、見てたの?」
「ああ・・・」
やましいことなど何もない。ないけど・・・いるかは顔が熱くなるのを感じて、
春海から目を逸らした。
彼の目はもうとっくに闇に慣れていた。暗がりでも彼女の頬の赤いのがわかる。

ふと、背中にまわされていた彼の腕にぐっと力が込もる。
次の瞬間、足が地面を離れ、いるかは彼に抱えあげられていた。
あわてて、春海の肩に手を置き、体を支える。
いるかは宙吊りのまま、コンクリートの冷たい壁と彼の身体に挟まれてしまい、逃れることができなくなっていた。

「あいつの前でもそうやって、赤い顔して、下向いてるんだろ?」
「・・・は、春海?」
「口ごもって、なんにも言えなくなっちまうんだろ?」
「そ、そんなことないっ!ちゃんと・・・断ったもの・・・」
彼の顔がちょうど目の前にあって、視線を逸らすことができない。
余計に顔を赤らめてしまう。


「・・・かわいいんだ・・・」
「え・・・?」
春海の片方の手が、彼女の頬に触れる。

「そうやって、赤くなって俯いたお前の顔。
・・・なあ、いるか。そんな顔して断られてもな、男はきっと諦めきれないぜ?」

「だって・・・だって、恥ずかしいんだもん・・・じゃあ、どうすればいいの?」
「・・・」
いるかはもう泣き出しそうだ。
途惑い、浅い呼吸を繰り返す彼女の口を、少し乱暴に塞いだ。
深く、長いキスを交わすうち、彼の動きがしだいに穏やかになってきて、
いるかの体を貫いていた緊張の糸が緩んでいく。


「・・・ふーっ・・・」
大きく息を吐くと、春海はうっすらと笑みを浮かべた。

「そうだな・・・どうしようもないか・・・」
まだ呆然としたまま、ぐったりしている彼女の体をゆっくり下に降ろす。

いるかは訳がわからず、縋るように彼を見あげている。

「ごめんごめん。・・・いるかは何も悪くないよな・・・」
彼女の顔をのぞき込み、頭を撫でながら、春海は言った。
「彼女に」、というより、自分に言い聞かせるようにつぶやく。
さっきまでと違う、やわらかな彼の声に、いるはようやく安堵したのか、
頬を膨らませ拗ねてみせると、そのまま彼にしがみついた。
春海もまた彼女の背を抱きとめると、その腕にぐっと力を込めた。



「いるか・・・」
「なあに?」
「・・・浮気すんなよ」
「するわけないじゃん。春海のほうこそ・・・」
「おれはしないぜ、そんなこと」
「じゃ、じゃあ、あたしだって!」
二人は悪戯っぽくいい合ったが、どちらにとっても、それは祈りにも似た、強い気持ち。



「さ、ちょっと冷えたな。お茶でも飲みに行こうか?」
「うん」
二人はあたりに人のいないのを確認し、手をとって足早にその場を離れる。

大人たちの目を逃れ、闇に遊ぶ無邪気な子供のように、足取りは、軽い。



「はあー、どきどきしたあ」
「たまにはいいだろ?こういうのも」
「・・・もう二度といや」
「なんだよ、つまんないなー」
「春海!」
「はは、冗談だよ・・・」

楽し気な笑い声を残して、二人は夜の喧騒の中に消えていった。

(おわり)



「いるかちゃん応援部」サイト一周年を記念してじんさんにいただいちゃいました!

水:「はあー、どきどきしたあ」
じ:「たまにはいいだろ?こういうのも」
水:「いいです!すごく♪」

春海の苛立ち、いるかちゃんの途惑い、とても新鮮でした。
少し大人になってお互いに距離が出てきた頃、周りの人間の態度や視線によってそばにいる人のことを改めて見つめなおしてみる。
そんな時ふと感じる焦燥や不安。
でも、結局二人は仲良しで、夜の街に手を取り合って消えて行くんですよね♪
文字を追いつつどきどきしっぱなしでしたが、最後はほっと一息つける、そんな素敵なお話でした。

壁紙に、と選ばせていただいたのはやはり黒。
じんさんご自身も黒は使ってほしかった、とおっしゃっていて わが意を得たり、でした(笑)。 赤い柔らかそうな花はもちろんいるかちゃんのイメージです。
少しだけ散っている花びらに春海さんの苛立ちの痕を見てください♪

改めて
じんさん今回も素敵なお話をありがとうございました!


★HOME★