馨子さま作
里見学習院殺人事件
【C天使と悪魔と】
当然の事ながら、翌日の里見学習院は朝から殺人事件の話題でもちきりであった。
色々な憶測が飛び交う。
春海以下、生徒会のメンバーは早朝からその対応に追われていた。
まずは、『生徒達の落ち着きを取り戻し、通常の学校生活を取り戻すこと』それを最大の目的として会議が行われた。
その最中に校長の園田が、生徒会室に飛び込んできた。
「一体どういう事だね、山本君。出張から戻ってみればこの騒ぎ。生徒の自主性なんて悠長な事を言っているからこんな事が起きるんだ」
「お怒りはごもっともですが、今はそんな事よりこの事態をどう収拾するかが先決です。今その件について会議中です。対応策を練った上でまずは理事長にご報告しますので、それまでお待ち下さい」春海はきっぱりと言って、園田を生徒会室から締め出した。
「園田のヤロー、ここぞとばかりに出てきやがって」
巧巳がはき捨てるように言った。
「あのリコール以来、影薄くなっちゃたもんねー」と玉子。
野球部の八百長事件に端を発する前々生徒会リコール騒動で、誰しも園田の退陣、根津の退学は必至と思っていた。
しかし、それを止めたのは意外にも松之助理事長だった。
二人とも学院を思ってやった事で、それが少々行きすぎただけだと、松之助理事長の温情であった。
だが結局、選挙により春海以下新生徒会は生徒達の絶大なる信頼を得て発足し、根津の居場所はどこにもなかった。
ほどなくして、自ら退学届を出し、この学院から去っていった。
春海、いるか、巧巳へのすざましいほどの恨みとともに。
結果、去年の夏の駅伝での計画となる。
もっとも、それらの企みもこっぱみじんとなってしまったのだが・・・・
一方、園田の方はそのまま校長の座にいた。
しかし、もはや生徒会は自分の腰ぎんちゃくのような存在ではなく、確固たる組織として機能していた。
また、生徒会と松之助理事長は直にやりとりすることも多く、園田は決定事項の事後報告を受けるにすぎない完全なお飾り校長となっていたのである。
「あいつ、前の権勢取り戻そうと、必死みたいだぜ」
「どういう事だよ?」
「俺、この間おふくろと会ったんだよ、正美連れて、都内のホテルでさ。
で、そん時、園田と何とかっていう政治家がロビーで話してんの見たんだよ」
「何とかって誰?」
いるかが横から口を挟む。
「えーと、ほら二世議員でさ、若、若・・・」
「若宮代議士か?」
「あ、そうそう若宮、若宮って奴。お前知ってんの?」
「親父から聞いたことがある程度だけど、教育問題に熱心な議員だって話」
「ふ〜ん、でもよぉ、園田とつるんでること自体胡散臭いんだよな」
「ま、巧巳の気持ちも分からない事もないけどね」春海は苦笑した。
「とりあえず園田校長の事はおいといて、今はとにかくこの事態をどう収拾するかだ」
怜悧な生徒会長の顔だった。
放課後、いるかは春海と供だって捜査本部が置かれている警視庁へと赴いた。
捜査1課の佐伯警部のもとを訪れたのだ。
「少しは落ち着かれましたか?」
佐伯は、いるかに優しい表情で尋ねた。
「はい、あっ、昨日はすいませんでした」
少しはにかんだ、天使のような無邪気な笑顔を向けられ、佐伯は、今もいるかの傍らでまるで中世の騎士のようにピッタリと寄り添う春海の気持ちを少し理解したような気がした。
「昨日のお話で遺体発見に至る経緯はだいたい分かりましたが、その時何か気づいた事はありますか?例えば、他に人の気配があったとか、物音を聞いたとか」
「とにかく動転していたのでよくは覚えていませんが、人の気配とか、物音とかはなかったと思います」
「そうですか。えーと、山本春海君だったね? 君は、如月さんの悲鳴を聞きつけてあそこに駆けつけたという事でしたが、君の方はどうですか?」
春海は口元に手をあて、しばらく思案したが、
「僕の方も特に気になるような事はなかったように思います」と答えた。
「そうですか・・・」
佐伯はため息をつき、3人の間にしばしの沈黙の空気が流れた。
が、その沈黙を破るように、刑事課のドアを蹴破る勢いで一人の刑事が息せき切って入ってきた。
「主任、司法解剖と例の粉末の鑑定、結果出ました!」
勢いづいて室内に入ったものの、場違いな制服姿の二人に気づき一瞬報告を躊躇う。
しかし、佐伯が続けるよう指示した。
「死亡推定時刻は胃の内容物から、昨日の午後2時から4時の間。死因は失血死。刃物による首の刺し傷が致命傷ですね。傷から判断して、凶器は刃渡り15センチくらいのナイフじゃないかとの事でした。凶器は現場からは発見されていません。それから・・・」
「それから?」佐伯は先を促す。
その刑事は少し言いにくそうに、「それから・・彼女、妊娠してました、妊娠3ヶ月。それと制服のポケットから見つかった袋に入った粉末ですが、分析の結果、覚せい剤と判明しました」と報告した。
「覚せい剤!」
「妊娠!」
嫌でも昨日の理事長室での会話が甦る。
「里見にもか・・・」呟くように発した春海の言葉を佐伯は聞き逃さなかった。
「“里見にも”とはどう事ですか?」
春海は、昨日の理事長室でのやりとりを説明した。
「そうでしたか、そうなると高校生を巻き込んだ大掛かりな密売組織があると考えられるね。昨日の手紙の内容からしてもそのことを君たち生徒会に打ち明けようとしたが、それを事前に察知した犯人に殺された」
「充分有り得るでしょう。内部犯の犯行でしょうか?」
「現場は校内だからね、その可能性は高いといえるが・・・・
しかし、2時から4時となるとほとんどの生徒が授業中でしょう?」
「そうですね、授業が終わるのが3時半、その後HRと掃除がありますから、帰宅できるのは4時過ぎですね。ですが、里見の場合、生徒の大半はなんらかのクラブ活動をしていますからその後もそのまま校内にいると思います」
「そのようだね。君が、あの事件の直後校内にいる全員をその場で待機するようにしてくれたおかげで、校内にいた全員に事情聴取できたんだが、だいたい君の言ってたスケジュール通り行動してたみたいで、ほぼ全員のアリバイが成立したよ」
「そうですか、多分教員も同じでしょう。授業をもっていればその間はずっと教室にいる事になりますし、HRも掃除も教師は立ち会いますから」
「その通り。犯行時刻に授業を持っていない教員も数人いたんだが、全員がその時間、職員室にいた事は確認が取れている。となると・・・・」
佐伯は頭をかかえた。
「外からって事も考えられるんじゃない?」
それまで黙っていたいるかが突然口を開いた。
「外から?」
「校内に外部の人間がいたら目立つだろう?」
「そうかなぁ。あたし全校生徒の顔なんて全部知らないから里見の制服着てたら、うちの生徒だと思っちゃうよ。あと作業服とかだったらメンテナンスに来た業者かと思うし、先生にしたって、選択してる授業以外の先生なんてまだ覚えてないもん、父兄だって出入りする事もあるし、それなりの格好してたら全然不審になんか思わないよ」
「あっ」
春海と佐伯は顔を見合わせた。
「盲点をつかれたって感じですね・・・」
春海はため息混じりに言った。
「確かにそういった手を使えば、校内での覚せい剤密売も外部の人間でも可能だな。今回の殺人もその延長だと考えてもいいかもしれん。こりゃあ、マル暴とそれから少年課とも連携しなくちゃならないな」
春海は、刑事部屋のホワイトボードに貼り付けられた被害者の女生徒の写真を見つめた。
纐纈いずみ(こうけつ いずみ)
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里見学習院高等部1年4組 16歳
今年、里見の女子中等部を卒業し、高等部に入学した一年生だった。
まだ小学生のようなあどけなさを残した顔立ち、少しくせっ毛の柔らかそうな髪、春海は少しいるかに似ていると感じた。
この少女が、覚せい剤、妊娠、そして殺害、いったい彼女に何があったのか。
そして同時に、それがいるかでなくて本当によかったと、不謹慎であるが春海はそう思わずにはいられなかった。
「あっれー、この子どっかで・・」
同じくホワイトボードを見つめていたいるかが、素っ頓狂な声を発した。
「いるか、知ってるのか?」
「うん、どっかで会ったことがあるんだよね、どこだっけ?」
いるかは自分の頭をポカポカ叩いて、必死で思い出そうとした。
「あっ、そうだあの子だ。あたし二世!!」
「お前二世???」
「うん、玉子の話ではね、今年の一年生にあたしに似た子が入ってきたんだって。それで一年の間では『如月いるか二世』って呼ばれてるんだってさ。事件のあった日、5限目は英語でLL教室だったから、玉子と一緒に移動してたんだけど、そん時その子が急にあたしにぶつかってきたの。相当慌ててたみたいで、謝りもせず走っていっちゃたんだ」
「『いるか二世』なんて、初めて聞いたぜ」
「うん、あたしもそん時玉子から聞いたんだけど、それまで全然知らなかったよ」
二人の会話が終わるのを待って、佐伯が切り出した。
「さしあたって、われわれが知りたいのは彼女の交友関係と日頃の姿です。山本君、如月さん、彼女の友達からその辺りを聞きだしてくれると助かります。多感な年頃だからね、いかつい刑事が聞くより、すんなり話してくれるかもしれない」
「わかりました、それとなく聞いてみましょう」
「お願いします。それから今、科捜研に彼女の毛髪を鑑定にだしているんですよ」
「毛髪の鑑定ですか?」
「ええ、毛髪を鑑定すると、薬物の使用時期が分かるんです。だから彼女がいつから覚せい剤の使用を始めたかが分かるんですよ」
「へぇ、そうなんですか? 知らなかった」
「今日はわざわざ足を運んでもらって悪かったですね、今日のところはこの辺で結構です」
「そうですか、では、彼女の友人の件は僕達にお任せ下さい」
「じゃあ、よろしくお願いします。毛髪の方は結果が出次第お知らせしますよ」
佐伯は軽く頭を下げた。
「じゃあ、いるか、行こうか?」
「うん」
春海は、エスコートするようにいるかに寄り添い刑事部屋を出る。
まるでヨーロッパの紳士のように自然で洗練されているその姿を、佐伯は見とれるようにして見送った。