みじんこさま作
没収
まだ十月の初めだというのに、風は木枯らしのように冷たかった。秋が次第に深まる季節。木々の緑は急速に色を変え始めていた。
東条巧巳は校門近くまで来て、思わず足を止めた。登校時間には少しばかり遅いが、まだ遅刻ではない。
「…今日だったか」
うっかりしていたと、自分のかばんを見つめながら軽く舌打ちする。校門の前で、生徒会による風紀検査が行われていたのだ。前日に夜更かしをしたため、あくびをしながらの登校であったが一瞬にして眠気は消え失せた。
里見学習院は自由な校風と生徒の自主性を重んじる高校である。そのため「風紀検査」とは名ばかりのもので、登校時に担当の生徒会役員に鞄の中をちらりと見せる程度だ。
だが―――
巧巳は前に進めない。鞄の中の物は見つかるわけにはいかない。少しでも鞄を開けると露見してしまう。
しかも、校門で取り締まっているのは生徒会長の山本春海。これは難関だ。後の二人、玉子と曾我部なら多少のごまかしがきくかもしれないが。
どうしたものかと、巧巳は思案した。このままだと遅刻になってしまう。
と、その時、背後から声がした。振り返ると同じクラスの如月いるかが立っている。
「おはよう、巧巳…どうしたの?遅刻するよ」
少々、訝しげな様子で巧巳を見上げる。不安げに曇った巧巳の顔はあまり見たことがなかったからだろう。
「お前、今日、風紀検査って知っていたか?」
「げっ!」
いるかも途端に慌て出す。小作りな整った顔立ちが大きく歪む。
「やばい、春海じゃん。絶対にあたしたち見つかるよ」
お互い生徒会役員であるにもかかわらず、検査日を忘れていたのだ。しかも、事前に検査日は全生徒に告知されている。これも里見学習院側の配慮であった。
しかし、いるかが硬い表情を浮かべたのは一瞬であった。
「よし、裏から門を乗り越えようよ!」
いるかは巧巳の腕を掴み、そう云うと悪戯っぽく微笑んだ。
門の一部が低くなっているところがあり、いるかは、よくその場所を乗り越えるのだ。
***
誰の姿もない事を確かめて二人は塀から飛び降りた。意外にもあっさりと、校舎の中に入れた。
「サンキュー。助かったぜ」
「別にかまわないよ」
地面に手をついて立ち上がると、いるかは何事もなかったかのように教室に向かう。
「でも、見つかってマズイもんってなんなのよ」
振り返りながら、いるかは面白そうに訊いてきた。
「それは、云えないな」
今日の持ち物は絶対に云えない。
と、その時―――
「おい」
背後から声がした。嫌な予感がした。振り返ると春海が立っていた。
「どうして、二人ともこんな所から入るんだ?」
春海が厳しさを帯びた目で二人を見つめている。二人はぎこちなく笑みを繕うしかなかった。
「おはよう、春海ぃ」
いるかの声が周囲にしらじらしく響く。
「挨拶はいいから、鞄の中の物を見せろ」
いるかにも容赦ない態度をとる。いるかは今に泣き出しそうな顔をしていた。いっそのこと、今日は休めば良かったと巧巳は思った。
「ったく、お前はどうして!もういいい」
「返してよぉ」
「いくら何でも量が多すぎる。しかも教科書も入ってないじゃないか」
いるかの鞄の中は、菓子しか入っていなかった。さすがにマズイだろう。しかし、まだ自分よりはマシだ。
「さて、巧巳も見せてもらおうか」
その口調は冷たく、同じ野球部のチームメートに対するものではなかった。
「ちょっと、待ってくれ。ここではダメだ」
ちらりといるかを見やる。声を低くする。
「ここではマズイ代物だ」
「何なんだ?」
春海は眉をひそめながら、
「じゃあ、生徒会室で見せてもらおうか」
***
「…信じられない」
春海の声は、心底あきれ返った口調だった。
巧巳の鞄の中には、成人用ビデオテープが入っていたのだ。しかも三本。パッケージの写真の少女達は、ずれた下着からこぼれ出た胸を隠すこともなく、太股を露わにした格好で微笑んでいた。
「よく、こんなものを学校に持って来るもんだな…。没収だな」
「ちょっと、待ってくれ。これは今日、ダチに貸すつもりで…。うっかりしていたんだ」
「ダメだ。規則だからな」
春海の声は冷たかった。
「俺達、友達じゃないか」
「おまえも生徒会の役員じゃないか。どうして、今日の実施日を忘れているんだ?お前といるか以外、誰も違反者はいないんだぞ」
だめだ。このままだと本当に没収されてしまう。巧巳は混乱した頭で必死になって思案した。
春海は小さく息をつくと、
「それに…『没収』といっても卒業時にきちんと返却する規定だろう。まあ、今回はあきらめろ」
「いるかの菓子はどうするんだ」
「…腐るだろうな」
巧巳はがっくりと肩を落とし、ほとんど諦めかけた時、突如―――
閃いた。
「あのさ…このビデオなんだけど」
「AVだろう?持ってくるなよな。そんなもの」
巧巳は、商談でも持ちかけるように小声で囁く。二人を除いては誰もいない部屋であるにもかかわらず。そして歩み寄る。
「ちょっと、似てるんだ」
「似てるって何が?」
巧巳は三本あるうちの一本を手に取ると、
「ちょっと、似てないか?」
「だから、なんなんだ?」
春海は訝しげに眉根を寄せる。
「いるかにだよ」
春海は無言で、ビデオのパッケージに視線を落とした。
「…そうか?」
春海は、恋愛に関しては素直でわかりやすいタイプだ。
「いるか似のコが、ホントにいいんだ。結構、大胆な格好をしてくれてさ」
「……」
***
「あれっ、巧巳、ご機嫌じゃん。没収されなかったの?」
遅れて教室に入っていた巧巳にいるかが声をかけた。生徒会室に『連行』された巧巳が意外にも機嫌がいいので不思議に思ったのだ。
「ああ」
「うそぉ!なんで?」
「いるか、お前のおかげだよ」
「へっ?」
了