お題 5.肉まん
に く ま ん
「あ、「肉まんはじめました」だって!」
帰り道、いつもの店に見慣れないのぼりが立っているのを見つけて
いるかは駆け出していった。
走らなくたって何も肉まんは逃げていかないのに、
食べ物に関する彼女の執着はまったく小学生並みである。
いや、ひょっとして幼稚園児並みか・・・と思いをめぐらせた春海だったが
「早くはやく!」といういるかの手招きに誘われて
走りはしないものの歩みを早くすることを余儀なくされた。
袋にいっぱいの肉まんとあんまん、+エトセトラ。
典型的な日本人男性の例に漏れず味覚に関して保守的な春海からすれば「けったい」な品々―――
ピザまんやカレーまんと銘打たれたものも
進歩的な味覚を持つ(と春海は思っている)彼女は
ためらうことなく注文していた。
結果、いるかのかばんは春海の手の中にあり
いるかはというと大事そうに湯気の立つ袋を抱えている。
ニコニコとして春海を見上げるその顔に思わず釣られて笑顔になる。
「とりあえず全種類食べてみなくちゃね!
あたしの分と春海の分と、徹君の分と藍おばさんの分と・・・足りるかなぁ?
あ、どうしよう!」
「ん?」
「正美ちゃんとか、誰か来てたらどうしよう!
あたしもう少し買って来ようかな?」
「・・・大丈夫だよ。うちにもなんかあるだろうし。」
誰もお前みたいに平気で10個食べるわけじゃない・・・とは言わなかった。
そこはそれ、賢明な春海である。
言うべきことといわないほうがいいことの区別はつくようになってきたのだ。
いい加減彼女との付き合いも長い。
「ね・・・一個だけ、歩きながら食べていい?」
「おまえなぁ・・・」
「だっておなかすいちゃったんだもーん・・・」
「家まではすぐだぞ?」
「一個だけ。春海にもわけてあげるから?ね?」
そういっているかは袋を開けて肉まんを一個だけ取り出した。
たしかに歩きながらものを食べるのは行儀が悪いのだが
木枯らしに吹かれながらあたたかな肉まんを食べるのは悪くない・・・と思う。
まして隣にはこれ以上なくおいしそうに物を食べる特技を持つ恋人がいる。
彼とて食欲旺盛な16歳の高校生である。
「・・・一個だけだぞ」
「うんっ♪」
「おいしーね・・・」
「ああ・・・」
「でもね・・・」
「ん?」
「あたし、松前堂の肉まんが一番好き。
春海が差し入れしてくれたのがいままで食べた中で一番おいしかったって思う。」
「・・・」
照れもせず、悪びれもせず、口の端にたけのこをくっつけたまま
いるかは春海に言った。
おいしいものを食べているときは決まってそうなのだが
大きな目がきらきらと輝いて平素よりいっそう可愛らしい。
「・・・お前、なんかくっつけてるぞ。」
春海はそう答えるのが精一杯だった。
こいつは。まったくこいつは。
好きだとか、そういう類の言葉はめったにめったにめったに
口にしないくせに
こういうことをさらりと言う。
それが、どんなに自分を喜ばせ、浮き立たせるかも知らないで。
とはいえ自分が彼女の言葉に一喜一憂する様はあまり見せたくない。
やたら甘い顔を見せては沽券にかかわるとなぜか思っている。
このあたりは長い間弟の面倒を見てきたことの悲しい習慣か。
なるべく表情を読み取られないように背筋を伸ばし
彼女の先を歩く。
すたすたと歩く春海のあとを追うように
小走りにいるかがついてくる。
「まってよ〜」
大きな包みを抱え最後の一口を口に放り込んで
たったったっと
追ってくる。
「待ってってば〜・・・きゃっ・・・」
春海が振り向いたときにはもう遅かった。
いや、間に合ったというべきか。
いるかは饅頭の入った包みをしっかり持ち上げたまま
器用にひざから腹ばいに転んでいた。
「ったー…」
妙齢の乙女としてはかなり無様に転んでも
まんじゅうだけは守った根性はたいしたものである。たぶん。
春海は彼女を助けおこし
ほこりをかぶった制服をパンパンとはたく。
「お前なー・・・仮にも女の子なんだから
まんじゅうより先に守るものがあるだろう?」
「へ?」
転びながらも食べ物の無事を確保して鼻高々といった風情の彼女は
春海が何を言いたいのかよくわかっていない。
「だって、肉まんもあんまんもつぶれてないし・・・」
「ばか。大事な肉まんがつぶれたじゃないか。・・・ただでさえそんな大きくないのに。」
「・・・え?」
一秒。
二秒。
三秒。
まだ気づかない。
四秒。
五秒。
いるかの顔が徐々に赤くなっていく。
「は・・・はるっ・・・・!!!!」
一瞬早く春海のほうがスタートを切った。
彼の家まであと数百メートル。
先に着くのはどちらだろう?
怒りながらも両手をおまんじゅうにふさがれたいるかと
二人分のかばんをもっている春海と。
もっともいるかのかばんは空に近かったから
若干春海が有利かもしれない。
「肉まんて、に、にくまんて、ななな、なんなのよ―――!!!!」
冷え込み始めた秋の夕方に
つむじ風のような二人の姿があった。