sweet revenge 1
夏が終わろうとしていた。
正確には、夏休みが。
サッカー部の練習は15分の休憩に入り、いるかはゴールポスト近くの木陰でひとりスポーツドリンクを飲んでいた。
この夏の箱根の駅伝も、サッカーも、心残りは何もない。
いるかなりに一生懸命やって、結果も満足できるものだった。
だけどひとつだけ、ほんのすこし、心にちくりと刺さる思い出がある。
・・・巧巳のことだ。
もう忘れたことにしてもいいとおもうし、なかったことにしてもいいと思う。
春海と巧巳は、ひとしきり殴りあったせいか、何のわだかまりもないように見える。
あのあといろいろ事件もあってすっかり忘れていたけれど、やっぱり、完全に忘れることはできやしない。巧巳は今でも時々なんか・・・ちょっと普段と違う表
情であたしを見る。
その顔は、なんだかあたしを切なくさせる。
あたしだっていつまでもコドモじゃない。あの表情には、見覚えがある。進が、やっぱり、そんな顔をするのを何度も見ている。そんなときはうつむいちゃだ
め、目をそらしちゃだめ、まるで何にも気づいていないようにしなくちゃだめ・・・っておもう。自分もつらいって表情をしたら、いろんな輪が壊れちゃう気が
する。そのくらいならあたしが鈍感だって思われているほうがいい・・・
巧巳の事は嫌いじゃない。彼が人気があるのだってわかる気がする。だけど、春海は、誰にも替えられない。よくわからないけど、春海でなきゃだめだってお
もう。
だから・・・やっぱりあのキスは許せない。
嫌いなら殴るとかひっぱたくとか、いくらでも気の晴らしようはあるような気がする。
でもいまさらあたしはそんなことはしたくない。
かといってこのまま何にもなかったように一緒にいるのはやっぱりいやだ。
いったいどうしたらいいのか・・・
コロコロコロ・・・
ふと見ると、いるかの足元に野球ボールがころがって来た。
今日はサッカー部と野球部が同じグラウンドを使っていたから、練習中もこぼれ玉が何個か飛んで来ていた。
「すみませーん・・・」
知らない人だ。たぶん野球部の二年生なのだろう。
いるかはそのままボールを拾って、投げて返そうとした。
ふと見ると、バッターボックスのそばには巧巳がいる。
いるかは投げようとした手を下ろし、ゆっくりと外野から内野へ、そしてマウンドへ向かっていった。
止めようとした野球部員を軽く左手で制し、ピッチャーに無言で「代わって」という。
なにやらただならぬ雰囲気に、他の野球部員も練習をやめ、サッカー部員たちも集まってくる。
そして、マウンドから巧巳に向かって、まっすぐにボールを持った右手を伸ばし指さした。
それが何を意味するのか、わからないものはいない。
巧巳は驚いた表情はしたものの、ゆっくりとバッターボックスに入っていく。そばにいた春海は少しあわてて、「おい・・・」と呼びかけるが、それを無視して
二人は向かい合った。
野球のボールは投げたことがない。
ソフトボールとは明らかに形も硬さも違う。投げ方だって・・・
でもいるかには自信があった。去年、今年と春海の試合の応援をずっとしていたのだから、彼のフォームを思い出せばいい・・・そうおもった。
巧巳は、春海でさえ認める超高校級のバッター。どこまでやれるか・・・
でも、こうしなきゃ、いつまでも心がちくちくする。
春海と巧巳は喧嘩してすっきりしたみたいだけど、あたしと巧巳はこうでもしなきゃ、何時までも心の底から笑いあえないんだ・・・
いるかの心は決まっていた。
第一球―
ズバァァァンッッ!!!
球はものすごい音を立ててキャッチャーのバランスを失わせた。
さすが高校野球部、あたしの球を受けてものびちゃうことはなかったね・・・
巧巳はバットを振りもしなかった。
が、その顔に汗がにじんでいるのがマウンドからでもわかる。
野球部員からざわめきが消えた。
春海が、自分の使っているものだろうか、グローブを投げてよこした。
サイズがイマイチ合わないけど、これでちゃんと投げられる。
サッカーとはまた違った緊張感。どうやらギャラリーも集まったようだ。休憩時間はもうじき終わりだけど、加納先輩もこれは見逃してくれるかも
しれない。
第二球―
ガッッッ!!!
球は、当たった。
だがラインの外へ、力なくこぼれていく。
巧巳は手のひらをユニフォームで拭いていた。
赤いものがべったりとついている。
駆け寄るマネージャーを追い払って、再びバットを構える。
怖いくらい真剣だ。巧巳が見ているのはあたしじゃない。あたしの腕、ボール、どんな小さな動きも見逃さない、すごい集中力が伝わってくる。
あたしは指を三本、立てて見せた。
あと三球、という意味だ。
ゆっくりうなずく巧巳。
第三球―
バリッッッ!!
バットにひびが入ったらしい。
「あたらしいのを。」
春海が立てかけてあったうちから一本を巧巳に届ける。
いつの間にか、あたしも汗をかいている。冷や汗だ。背中をツーッと伝う冷たいものが感じられる。でも、負けたくない。
巧巳が真剣になったら、素人のあたしじゃかなわないだろうってこともわかっている。でも、やってみなきゃわからない。あたしは如月いるか。スポーツ
じゃ、誰にだって負けない自信がある。
第四球―
カンッッッ!!!
球は高めの弧を画き一塁側へ。またファウルだ。
追い詰められた・・・次は打たれるかもしれない。
第五球―
最後の一球。
これで勝負が決まる―――