椿色のラプソディ rhapsody on camellian shade |
番外編
6帖ほどの広さのコンパクトな空間。 ピンクがかったベージュのラグに、アイボリーのキャンバス地のカバーがかかったソファ。 オレンジピンクのクッションが並ぶ部屋で、 如月いるかが歌う姿を、テレビの向こうで見つめる、そっくりな姿があった。 芹沢かもめ。 いるかとそっくりな姿をした、同い年のいとこ。 「いるか――――」 そうつぶやき、テレビを凝視している、その隣には、土方琢磨がいた。 あたしたち、ずいぶん長い間、一緒にいたよね。 小さな頃からずっと一緒に育ってきた。 顔も声も背格好もそっくりで、よく間違えられた。 そんなあたしたちを間違えないタクマと3人で、ずっと一緒だった。 中学2年を迎えようという頃、そっくりないとこは、遠い、父方の実家に行ってしまった。 「すぐ帰ってくるから」と言い残していったいとこは、すぐには帰ってこなかった。 次に会ったのは、中学3年の春―――まだ肌寒いころ。 いるかは新しい仲間に囲まれていた。 ひときわ背が高く、人目をひく男の子が傍らに寄り添っていた。 あたしは、あなたに冷たくあたったよね。 ――寂しかった。 すぐ帰ってくるって言ったのに。 男の子なんてキライだって言ってたのに。 なのに、手紙も電話もろくによこさずに。 いるかは変わってしまった。 だけど、変わったのは、いるかだけではなかった。 中3の春、いるかに再会した私が気づかされたこと。 いるかが“女の子”だったこと。 あたしも“女の子”だったこと。 ――タクマが“男の子”だったこと。 みんな、いつの間にか変わっていたんだね。 いるかが東京に帰ってきたのは、その年の夏の終わり。 次に会ったときは意外なほどけろっとした顔をして。 もう、あのとき決めてたんだね。 里見に行くって。春海くんと一緒にいるために。 その時から、あたしと――あたしたちといるかの間には、ちょっとだけ距離ができた。 時々は集まって騒ぐこともあったけど、夏に引退した剣道部に顔を出すこともあったけど いるかには家庭教師がついて、とにかく忙しそうだった。 あたしたちは、いるかの邪魔をしないよう、気をつけていた。 そして、いるかは念願どおり、春海くんと同じ里見学習院へ。 あたしとタクマは、同じ都立高に進学した。 たまには会って遊ぶこともあったけれど 家は近いはずなのに 会うことが減って―― 学校でのこと、あまり話してくれなかったよね。 逆にあたしとタクマのことを聞きたがって。 学校でのこと、生徒会のこと、 後から知って、ちょっと悲しかったんだよ。 いるか、あんたっていつもそう。 苦しい時に「苦しい」って言わない。 あたしでは助けてあげられなかったかもしれないけれど。 心配させたくなかったって、わかるけど。 高校を卒業して、あたしとタクマは進路が分かれた。 タクマは考古学、あたしは心理学。 専攻分野は違うけれど、2人とも剣道は続けていたから 会う時間は減っても、一緒にいることは多かった。 いるかが髪を伸ばすのとは逆に、 腰にまで届きそうなほど長かったあたしの髪は年々短くなって 最近ではほとんど同じ長さになっていた。 あたしの身長はそれほど伸びなかったけれど タクマは少し背が伸びて――あたしがタクマを守ってあげることは減っていった。 いるかと春海くんのように“婚約”はしてないけれど、 あたしとタクマ、それぞれの親も、将来を認めている関係だった。 いるかが歌手としてデビューするって聞いて、驚いたよ。 春海くんと婚約していて、あちらのお父さんといるかのお父さん、 家の関係もあるのに、って。 でも、やると決めたらやる、あんたのことだものね。 だから、応援しようって決めた。 渋谷から代官山あたりを散歩するのが好きだった。 美術館へ入ったり、公園でのんびりしたり。 ときどき、遠巻きな視線を感じることがあったけれど、 いるかと間違えられてるんだと、わかっていた。 昔は間違えられるとふたりで怒っていたけれど ――今は、うれしかった。 いるかが、がんばってるからだって思えたから。 いるかが六段の家を出たって聞いて、一度だけ、遊びに行ったよね。 あれから、タクマは発掘の実習、あたしも心理学のセミナーにあちこち 顔を出すようになって。 泊りがけの合宿や研修が続いていた。 大学の後の進路のことを現実のものとして考えるべき時期だった。 だから、しばらく連絡をとっていなかった。 そんなとき、ひさしぶりに歩いた渋谷の街で――遠巻きな視線が、 以前と違う感じがするのに気が付いた。 棘を含んだ、刺すような視線。 違和感があった。 サリーから、あのことを聞いたのは、それから間もなくしてのことだった。 「かもめ親分、大変!」 いいかげん、親分と呼ぶのはやめなよと言いかけて―― やっとあたしを捕まえたサリーの口から聞かされたことが、 あまりにも信じがたかったから あたしは言葉をなくした――。 急いでいるかのマンションに電話したけれど ――番号は変えられていた。 尋ねていったけれど、誰もいなかった。 六段の実家にも、誰もいないことは、わかっていた。 おじさんとおばさんなら、たぶん知っているだろう。 いるかも、さすがに両親には、居場所や新しい電話番号を教えているだろう。 けれど、訊くのはやめた。 いるかが、あたしにも何も言わずにいるのは ひとりになりたいからだろうと、 そう言ったのは、発掘実習から帰ってきた、タクマだった。 あれから、渋谷近辺へは行っていない。 いるかに間違えられることが嫌なのではなく いるかと間違えられて、いるかに迷惑がかかるのが嫌だった。 いるかが今、身を置いている世界が、どんなものかはよくわからないけれど、 仕事に対しての、自分に関わる周囲の人たちに対しての、 責任感がいるかを支配しているであろうことは、想像がついた。 何かに気を紛らせていれば 少しは楽になれただろうか? でも、抑えるのは無理だよ――。 いるか、 何も言わなくても、わかってる。 あたしには、わかる。 春海くんに向かってうたっているんだよね。 わかるよ――。 「…かもめ?」 琢磨は、自分の隣に座ったまま、食い入るようにしてテレビを見つめたまま 涙を流している、かもめに気が付いた。 はらはらと、音もなく流れる涙を、ぬぐうでもなく。 肩に手をおいて、自分のほうに、少しだけ、抱き寄せた。 かもめは、されるがまま、素直に琢磨の肩に頭をもたせかけた。 「…だいじょうぶだよ――…だいじょうぶだよ、かもめ。」 山本くん――。 初めて君に会った、中3の春。 僕は、君と会えて、うれしかったよ。 中学剣道界で、君のことを知らない者はいない。 そう言いきれるくらい、君のことは、倉鹿修学院は、有名だった。 僕は、君を尊敬していたんだよ。 そして――。 幼馴染のいるかちゃんの心をとらえた人だと知って、驚いた。 僕は、君がうらやましかったよ。 君は、剣道は強いし、何をやっても隙がなく、無駄がなく。 剣道部主将として、集団をまとめて引っ張るリーダーとしての 判断力、行動力、説得力。 僕にないものをすべてもっていたから。 かもめが、煮え切らない僕を、弱い僕を 主将として頼りないと思ってるって知っていたし 仕方ないと思っていたけれど 久しぶりに会ったいるかちゃんは、かもめの態度に納得しなかった。 いるかちゃんが、かもめとの関係を変えてくれたんだ。 以前だったら、そんなこと、とても想像できなかったのに。 いるかちゃんを変えたのは、君だったんだね。 高校に進学した後の、君たちの活躍を聞いて、誇らしかったよ。 君たちが何かするたびに、違う学校の僕達のところにまで噂が聞こえてきて ――誇らしかった。 僕とかもめは、一緒に喜んでいたんだよ。 君たちのように、婚約なんて大げさなことはないけれど 今のまま、これまでのように、ずっと一緒にいられたらって思ってた。 かもめと僕、 そして いるかちゃんと山本くん―― 山本くん 今、君はどこにいる? ロンドンの劇場で発砲事件が発生して 日本人が巻き込まれた――そのニュースをきいて まさか、君の名が出てくるとは思わなかったから、本当に驚いたよ。 その後、命はとりとめたというニュースを最後に 君の消息は入ってこなくなってしまった。 いつ日本に帰ってきたのかも その後どうしているのかも 僕には、つかめなかった。 消息がつかめないのは、いるかちゃんも同じで――。 テレビやラジオ、雑誌の記事だけが、 いるかちゃんが生きていることを知る手がかりだった。 山本くん 観ているかい? 聴いているかい? いるかちゃんの姿を。 いるかちゃんの心の声を。 君に向かって歌っているんだよ。 僕にはわかる――。 肩を抱く琢磨の手が、わずかに震えているのに、かもめは気が付いていた。 いるか――。 あんたが言いたい気持ち。 “愛してる”って …わかるよ… なのに、今は一人でいるんだね。 あたしには、タクマがいる。 小さなころから、ずっと一緒にいた。 あたしがどんなにひどいことを言っても、だまって許して そばにいてくれた。 タクマを守ってあげているつもりが 逆に守られているのだと気が付くのに 時間がかかってしまったのは、あたしが タクマの優しさに甘えていたからだ。 あたしが、あたしでいられるのは タクマが、いつもそばで見守ってくれていたからだ。 タクマの温かさが、手をとおして肩から伝わってくる。 なのに、いるか。 今のあなたは、一人。 そんなの おかしい――! 突如、かもめが立ち上がった。 「…あたし、春海くんのところに行ってくる!」 「かもめ?!」 「いるかは今、ひとりで戦ってるんだよ? 八方塞がりで、動けない。 戻ることも、逃げることもできずに。」 「春海くんだって、わかってるはずだよ! …いるかの、本当の気持ち。 なのにどうして、放っておくの? …あ、あんなに、ぼろぼろになったいるか、見てられないよ…!」 「かもめ…!」 外に出ようとするかもめを、琢磨は必死で止めた。 「君に何ができるっていうんだ?」 「…離して!」 「これはふたりの問題なんだよ? 僕達がどうにかできることじゃない。 いるかちゃんと、山本くんと。 ふたりでなければどうにもならないことなんだよ!」 「…………」 「それに…今から行くっていったってもう遅い時間だし… 落ち着いて…」 「ああ…」 かもめは、その場に崩れるように膝を突き、声をあげて泣いた。 「あたしには、何もできない…」 「いるかが、あんなに、苦しんでいるって、 わかっても、何もしてあげられない…!」 琢磨は、肩をふるわせ、床に伏して泣くかもめの身体を起こし、 頭を抱えるようにして、一緒に座り込んだ。 「あたしには、わかるの。 …いるかは、今でも、春海くんを愛してる。 …琢磨? 琢磨にもわかったでしょ?」 「そうだね…。僕にもわかったよ…。」 …あんなに強い想いを、歌に籠めて――全身で、訴えていた。 涙で言葉が続かないかもめの興奮を抑えるように 背中をなでながら、琢磨は思った。 ああ、山本くん、どうか、君にも伝わっていてほしい。 君には君の考えがあるのだろう。 けれど、何か起こった時、ただ流されるようなことはしない、 君の、君たちのことだから、 僕は信じているよ――。 |