グラウンド・ゼロに咲く桜
2002年春
桜の苗木を大事そうに抱えた進がニューヨーク、グラウンド・ゼロにやってくる。
一人桜を植えている進の肩を東条巧巳がたたく。
高校卒業後プロ野球チームに所属していた東条は数年前からメジャーリーグ、ニューヨークメッツに所属して活躍していた。
二人は無言で再会を祝う。
二人の思いは同じところへ飛ぶ。
時間をさかのぼって―――
2001年9月
春海は所属している法律事務所の渉外の仕事で数ヶ月前からニューヨークにきている。
いるかは高校の学園祭にきていた父兄のレコード会社役員の目にとまり、
里見学習院大学時代から徐々に歌手としての活動をはじめていた。
春海は在学中に司法試験に受かり卒業と同時に大手の弁護士事務所で働き始める。
数年前に結婚した二人はお互いに忙しいながらも幸せな生活を送っていた。
春海のニューヨーク滞在に合わせるように、
いるかのレコーディングもニューヨークで行われている。
2001.9.11
その日の朝もいつもどおり春海はワールドトレードセンターにある
日系企業に赴く。
ツアーのスポンサーでもあるその企業にお礼方々
いるかも一緒についていく。
そして・・・
上司が出勤する前のことで、
避難すべきかどうか迷う人を前に春海は冷静な態度で自宅待機の指示を出す。
ほかのフロアにいる従業員にも同じ指示を伝えようと春海といるかは
最後の一人が避難するまで職場に残ることとなる。
最後の一人も無事避難したことを確認したとき。
火災が、そして天井が崩れてくる。
逃げ切れない、二人はそう覚悟する。
二人の脳裏にはさまざまなことが去来する。
出会って、愛し合って、結婚して、
倉鹿の事、東京でのこと・・・
おまえを助けてやれなかったと悔やむ春海、
どこまでも春海と一緒だよと微笑むいるか。
隣の棟はすでに崩壊し、舞い上がる砂塵、迫り来る熱風の中で
二人はしっかりと抱き合い、そのときをむかえる…
再び2002年春
ビルの跡形もなくなったグラウンド・ゼロに一本桜の苗木が植えられた。
進が倉鹿から持ってきたものだった。
いるかが倉鹿にやってきて二人がであった、
あの時咲いていた修学院の桜を持ってきたのだった。
進は医師として倉鹿で父の後を継ぎ開業していたが
あの事件後、国境なき医師団の一人として途上国を回る決意を固めた。
巧巳は忙しい試合の合間を縫って恵まれない子供たちに野球を教えるのを
ライフワークにし始めていた。
みんなの心の中に、
彼らが助けた人々の中に
いるかと春海は永遠の中に溶け込んでいった。
桜の苗木を見つめる進には
なぜか中学生のままの、修学院の制服を着た彼らが重なって見える。
桜ほころぶ倉鹿市、あの出会いからすでに18年が経っていた。
みんなの心に大きな大きな風穴を開けて、
二人は永遠に桜のちりやまない世界へと一緒に旅立っていった…
(あの事件で亡くなった方、大切な家族や友人を亡くされた方
そしてあのあとの戦争でも、理不尽に奪われていったすべての命をいたんで・・・水無瀬)
(このページの背景は墨染色、文字は桜色です。)