お題 1.出逢い









さ くら




燭を背けては 共に憐れむ 深夜の月

花を踏んでは 同じく惜しむ 少年の春





「じゃあな。」
「ああ、気をつけてな。」
「いるかによろしくな。」
「たまには帰ってこいよ。」
「ああ、またな。」

別れは、あっけないほど簡単だった。
明日また会うかのように。




その年、倉鹿の桜は早く咲いた。
春海の出立に間に合うよう急いだ、そんなふうに思えた。

誰より頭の良い、誰よりスポーツに秀で、
誰より意地っ張りでそして―――かけがえのない友人は
生まれ育った倉鹿を離れて東京へ旅立っていった。





進は春海を送った後、一馬や兵衛と別れてひとり歩いていた。
歩みを止め気がつくと、修学院の正門前にやって来ていた。

いくつもあるグラウンドから聞こえてくる掛け声。
剣道場、柔道場、体育館からも
春休みとはいえ修学院から生徒たちの声が消えることはない。

カキーン・・・

バットが軽く球を跳ね返す音が聞こえる。
うっすらと霞みたつのどかな空に吸い込まれて消える音。
ふと、微笑が浮かぶ。
野球部のキャプテンもしていた友人のことが思い出されて。

三年前はじめてくぐった門。
重厚な構えに「私立倉鹿修学院」の文字が
墨色も濃く堂々と書かれている。
愛すべき母校。
気の置けない友人たち。
彼を慕ってくる後輩たち。
時おり胸の奥をくすぐる女生徒たちの視線。

ここは、彼のすべてだった。

覚えている。

はじめて学ランに袖を通した入学したての春。
いるかが転入してきた春。
彼女と春海の関係が変化していくのを見守った春。

そして

この春、進は親友の旅立ちを見送った。

修学院の桜は今年も変わらず生徒たちを見おろしている。









「・・・どっちにする?」

倉鹿市の小学校六年生がこう口にしたら
進学問題のことに決まっている。

但馬館中学と倉鹿修学院中等部。
どちらに進学するか進は迷っていた。
どちらでもいいと両親は言っていた。
進の場合学力はまったく問題にならなかった。
しかし父は但馬館出身だったし、
自分にも同じ学校にいってほしいと思っているのはなんとなくわかっていた。
けれど進は迷っていた。
小学校に上がる前からいつも一緒だった、一色一馬、長門兵衛、山本春海の三人。
彼らと同じところがいい、と思っていたからだった。
進のクラスでも二学期になるかならぬかのうちに誰からともなく
この話題が上るようになっていた。
だが、進、一馬、兵衛、春海の四人のあいだでは一度ものぼらなかった。
友人、とは言え何かにつけ彼らは牽制し合う。
よく言えばライバル同士、悪く言えば水臭い。
一種の緊張感が彼らのあいだにはあった。





その年の夏、春海は事故で母親を亡くしていた。

何度も遊びにいって、可愛がってくれた女性の突然の死。

―――うそだろ・・・?

人の亡くなるということに実感のない子供だった進はどうしていいかわからず
親に促されるまま慣れ親しんだ山本家へと足を運んだ。
普段人気の少ない家が、まるで場違いのように騒がしかった。
皮肉なものだ。
人が亡くなったというのに、かえってこうもにぎやかになるなんて。
ひっそりとした佇まいを見せていた家までが、あまりの人の出入りの激しさに戸惑っている。

あわただしい通夜、告別式。
泣きじゃくる弟にすがりつかれても春海は表情を変えなかった。
彼を良く知らない人なら、なんて冷たい子供だ、と思ったかもしれない。
弟の徹は兄の分も涙を流そうとしているかのようだった。
対照的な兄弟。
哀れな兄弟を甘やかそうと近付く大人たちに対しても
春海はいつもどおり、気味が悪いくらい礼儀正しく接していた。


だが、進にはわかっていた―――
歯を食いしばって、眉間に力を込めて、
一点だけを見据えて瞳を動かさないようにしている春海。
もともとあまり感情の起伏を表に出すようなところはなかったが
あの時は声をかけることさえ憚られた。
全身に張り巡らされた有刺鉄線が彼と外界を隔てているようだった。
自分がどれほど傷ついているかもわかっていなかったに違いない。

―――別に泣いたっていいんだよ。
おれたち、まだ小学生じゃないか。
そんなに無理すんなよ。

―――言えなかった。





「・・・中学、どうすんだ?」
願書を出すほんの一週間前だろうか。
兵衛が春海に聞いた。

「修学院にする。」
春海の返事には躊躇いがなかった。

「オレも。」兵衛が答える。
「・・・オレもだ。」一馬も。
「・・・なんだ、またみんな一緒かよ。」
やれやれ、というふうを装って進も答える。

そのときはじめて、春海の表情が少し和らいだ気がした。

皆わかっていたのかもしれない。
春海が倉鹿修学院を選ぶだろうということを。

修学院は彼の母の母校だったのだ。









あの日、確か桜はほころび始めたばかりだった。

修学院に入って二年目。
いつも四人だった仲間たちは「鹿鳴会」という名を与えられて
入学したその年から学院を仕切る形となった。

「鹿鳴会本部」

そこが、彼らの新たな基地だった。
定員五名―――しかし彼らは四人で、余った椅子はいつも所在なげだった。

その最後の一つに、あいつが―――如月いるかが座ることとなった。



あの日から少しずつ、変わっていったのだ。
春海も、そして自分も。
慰めも同情も馴れ合いも受け付けなかった春海は
周りが思うほど完璧な人間ではなかった。
無関心を装って感情を押し込めて、
何かに揺すぶられることを懼れていた。

小型台風のごとき彼女は
進にさえ立ち入ることを拒否した心の奥に躊躇いなく入っていった。
それが、どんなに難しいことかも気づかないまま。



いろんなことがあった、と思う。

言葉にするより早く、思い出は映像になって進の心の中を駆け巡る。
風に花びらが舞い上げられるように
思い出は切なく、美しく、去来する。

また会うことはあるだろう。
いるかにも、春海にも。
けれどあの時間はもう戻っては来ない。

二度とは繰り返さぬ春。
盛りを過ぎてから惜しむ花。

せめて名残を心にとどめようと散りゆく桜を見上げていた。












桜は心を映し出す鏡のようなものかもしれない。
届かない想いを糧にして、思い切り散っていくのかもしれない。

もうここにいない人に向かって語りかける。


―――いるかが東京へ帰っていくときは笑って送り出せたのに。
なのに、今無性に泣きたい気分だよ。
旅立っていったおまえが懐かしくて
一緒に過ごした何年間がすごく眩しく思えて・・・


散るばかりに開ききっていた桜が風にさらわれる。
霞む光を追って生き急ぐように散っていく。

風にとけるさくら色。
霞に流れる思い出の色。


―――なんだよ、何でおれがこんなに辛いんだよ・・・


もっと、風が吹けばいい。
花びらも塵も巻き上げて
目にごみがはいったふりをしてごまかせる。
こんなことで泣けてくるなんて―――らしくない。

おまえも、車窓からどこかの桜を見ているだろうか。

これから始まる東京での生活への期待で心を満たして。
駅に迎えに来ているだろういるかのことを想って。

だけど、だけどな。

少しはおれたちのことも思い出せよ。
たまにでいいからさ。

背中合わせで通じあうような
おれたちって、そんな関係だったかもな。


そんなに悲しいわけじゃないさ。
それほどつらいわけじゃないさ。
ただ
桜がこんなにもきれいだからいつもより感傷的になってるんだ。


いるか、春海のことヨロシクな。

あいつ、意外と寂しがりだからさ―――



(終わり)






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