雪明りのなか春海はいるかの部屋を後にした。
ついたらすぐ電話するよ、と言ってごく軽くキスをする。
パタン、と戸が閉まり、靴音がだんだん遠くなる。
胸が縮まるような気がした。

居間に戻り、カーテンを開ける。
そこから駅までの道が少し見える。
春海の姿を今一度見ることができる。

あ、傘……!

通りを歩いている人が、傘をさしていた。
気がつかなかったけれど雨か、みぞれが降っているのだろう。
いるかは玄関まで走って戻り傘を抱えて飛び出していた。


100メートル10秒を切るか切らぬかといういるかでも
雪に足をとられて思うように歩けない。
それでも、懸命に春海のあとを追った。


「……いるか?」

早朝のいてついた道路を注意して歩く春海の後ろから
危なっかしい足音が聞こえた。
滑りながらもバランスをすぐ立て直して走る、
こんなことができるやつはそうそういない―――
気配だけですぐわかった。
くすっと苦笑を浮かべて
振り返った。

「春海……か……傘……うわっ!」

息を切らして、頬を少し紅くして
わかれたばかりの恋人が腕の中に飛び込んできた。
見事に転びそうになったところを支えられて
照れくさいのか、えへへ、と表情を取り繕う。

早朝とはいえ歩いている人も多少はあるが
みな自分の足元に夢中なのはひとつの幸運に思えた。

春海はいるかの持ってきた傘を開いて
二人の上にかざした。

歩道脇にはまだ誰にも踏み荒らされていない雪が積もっている。
春海は傘と自分自身でさりげなく人目から彼女をかばった。

溶けてしまいそうにうるんだ瞳が
振り切ってきた離れ難かった気持ちを一気に呼び戻す。

冷たい唇に上気した頬にうっすらと汗をかいた額に
玄関先で押し殺した切なさがよみがえる。

傘を持つのとは反対の手で
春海はそっといるかを抱き寄せた。
足元から忍び寄る冷気に
いるかが「くしゃん」、とかわいらしいくしゃみをするまで
あたたかな吐息で彼女を包んだ。




春海のためらい
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