夕陽を背に感じながら 坂道をゆっくりと登っていた。 ひっきりなしに車の通るアスファルトは 夕暮れ時になってもまだ熱を放ち続けていた。 黄昏時特有のざわめき。 軽いクラクションの音。 開け放たれた車窓から聞こえてくる音楽も ほんの一瞬いるかの耳を掠めてフェードアウトしていった。 ふと、いるかは後ろを振り返った。 夕陽が正面にあった。 「……はい」 「あ、春海、いたんだ。」 「いるか?お前、外からかけてるのか?」 「うん、いま六段の駅のそば。」 「どうしたんだよ、一体。」 「うん……ちょっとね、春海の声が聞きたくなって。」 「え・・?どうしたんだよ。お前らしくもない。」 「そう?」 「いや……なんか嬉しいけど。」 「なんかね……」 「ん?」 「夕陽が、すごくキレイでね……」 「いま?」 「うん。ここからだとよく見える……なんだか吸い込まれたくなるような夕焼けだよ。」 「そう、か……」 「……まだ日没には少し間があるよな……しばらくそこにいるつもりか?」 「うん。なんだかね、動けなくなっちゃったみたい。」 「わかった。今からいくから。」 「え?」 「しばらくいるんだろ?まってろよ。」 「は、春海?」 「お堀のそばの公衆電話か?」 「う、うん……そうだけど。」 「じゃ、すぐ行く。必ずまってろよ。」 「あ、はる……」 「……ホントに来たんだ。」 「まあね。」 「春海、勉強が忙しいんじゃなかったの?」 「もちろんちゃんとやってるよ。でもさ……」 「何?」 「……なんでもないよ。」 夕陽は、春海の部屋の窓からも見えた。 おそらく、いるかがみているのと同じものが。 赤くて、透き通って、大きくて…… ここしばらくじっと夕陽を見るなんてことはしていなかったかもしれない。 切ないような、懐かしいような、 そしてどこか不吉な…… 空一面に広がった 夕焼けを見たら なぜか、もう二度と逢えなくなるような気がした。 考えるより先に言っていた。 ―――逢いにいく、と。 春海はお堀にかかる橋の欄干に背中を持たせかけていた。 半袖の白いシャツが、夕陽色の染まっている。 長い足をもてあますように組んでいた。 いるかは肘をついて、陽を正面に浴びている。 「ここは、いろんな人が通るんだな……」 「そうだね。」 「六段中の制服も多いな。 大学生っぽい人も多いし、外国人も多い。」 「確か近くにイタリア文化会館があるし、女子大もいくつかあるからね。」 「会社員風の人も多いし北の丸公園や千鳥が淵に散歩に来たって感じのひとも……」 「うん……そうだね」 雑多な人が彼らの周りを通り過ぎていく。 彼らの周りだけ時間が止まっているかのように。 彼らの存在にさえ気づかないように。 春海は、この世で自分達が二人きりになったような錯覚を覚えた。 少なくとも、 自分達と、自分達の周りを通り過ぎていく人たちには 時が違うふうに流れているように感じた。 君は覚えているだろうか あれから10年も、たったってこと。 君とはじめてであった8歳の夏。 予想もしていなかった。 10年後、君とまた一緒にいるなんて。 これから10年後、 たぶん君はぼくのそばにいる。 そして、そのとき君は 笑って、いるだろうか。 ぼくたちは――― 僕たち二人は――― これからも同じ時間の中を生きていけるのだろうか…… |