那覇空港から一時間ほど出迎えの車に乗り、目指す家に着いた。
沖縄らしい、低めの石垣がぐるりとめぐらしてあって
ハイビスカスとブーゲンビリアがうっそうと茂っている様子が伺える。
薄い朱色の瓦屋根、柱は多いが扉の少ないつくりは、
この地方の気候にあった伝統的な建築らしい。
庭から岩場を伝って直接海に出ることができる。
海のそばにはアダンの実がなり、
プルメリアの甘やかな香りがどこからか漂ってくる。
「・・・おっきーねー・・・」
「あたしと両親の部屋だけ渡り廊下でつながってる増築した別棟だけど、
母屋はそのまま買い取って修理しただけみたい。
ほんと、昔のまんまなんだって。
みんなは母屋に一人一部屋ずつ寝られるけど・・・
二人ともお兄さんと一緒がいい?」
いるかは正美と徹の二人をからかうように問いかける。
「そんなことないよっ!」
「一人で寝れるもん!」
赤くなっている二人を見ているかたち三人はくすくすと笑った。
「ついたら正美ちゃん、お昼寝ね。
長い距離を旅してきたんだもん、無理しちゃダメだよ。」
「えー・・・すぐ泳ぎに行っちゃだめ?」
「ダメ。」
いるかはお姉さんらしく微笑む。
春海はいるかのそんな様子がほほえましくて二人から目を放せない。
徹と接するときもたまにそんな様子を見せるが、
女の子―妹と言うのはまた違ったものなのだろう。
家の中と外を一通り案内して、各人はいったん部屋へ落ち着いた。
正美ちゃんはいるかに布団を敷いてもらってもなかなか寝ようとしなかったものの
やはり疲れが出たのだろうか、しばらくすると静かな寝息をたてはじめた。
徹もなんだかんだと言いながら春海に寝かしつけられた。
「おまえら、泳いでこいよ。二人は俺が見てるから。」
巧巳が言った。
「え・・・・」
「いいよ、あたしもいるよ。」
「いいんだってば。俺は一応この中では最年長者なんだから。
正美の保護者のつもりでついてきたんだし。」
「巧巳・・・」
「・・・じゃ、そうするよ。
二人が起きたら、すぐおまえたちも来いよ。
いるか、行こう。」
「う・・・うん。」
急いで仕度をし水着に着替えて、
いるかはアロハシャツを引っ掛ける。
「いるか、急げよっ!」
「は、春海、待ってってば〜」
急ぐ必要など何もないのに、
庭先の草むらからのぞくきらきら輝く海が二人を小走りにさせる。
風のない、凪の波が静かに白い砂浜に打ち寄せる。
いるかと春海は岩場の風がよけられそうなところに荷物を置いて
早速海に入ろうとした。
・・・と、いるかは自分の身体がふっと持ち上げられるのを感じた。
「はっ春海?・・なっ何すんの―――っっ・・・・・・」
ザッバーンッッ!!
「・・・ぷばっ、はっはっ春海っっなにすん・・」
「あっはっは・・ほら、大丈夫か?・・・え?」
ザバンッ!
「フンッ、おかえしだっ」
「・・・いってー・・・鼻に入った・・・」
「あはははっ、へーき?」
「ん。・・・・それより・・・泳ごうぜ!」
「うんっ!あそこのテトラポットまで!」
「よしっ、ついて来いよっ!」
「何言ってんの、ついてくるのは春海だよッ」
そういっているかは先に沖へと泳ぎだす。
「まてよっ、いるかっ」
春海も遅れまいと飛び込んだ。
「・・・ふーっ」
「あ―――やっぱり真剣になっちゃった・・・」
「何言ってんだよ、いまさら。」
「春海ってば速いんだもん。
つい負けたくなくなっちゃうよ。」
いるかはちょっと困ったように春海に笑いかける。
二人はテトラポットによじ登って一休みをしていた。
「俺だって、おまえに追いつくのに必死だったんだぜ。」
「うっそだー・・・さっさと抜いたくせにさっ」
「そりゃ・・・負けられないからね。」
「あ―――っ、やっぱりっ!」
二人は一緒になって笑いあう。
真昼をだいぶ過ぎた日差しはきつすぎもせず、
時折空をよぎる雲が水面に影を落とす。
波がテトラポットに打ち寄せる音・・・
穏やかな風が熱帯の肉厚の葉を揺らす音・・・
眠たげな虫たちの声・・・
ほかには何も聞こえない。
海は、遠く空と交わる場所までただただ広がっている。
まるでこの世界でたった二人になったような気持ちになる。
「さ・・・またおよごっかな。」
いるかが不意に立ち上がる。
「・・あっ・・」
と、急にバランスを崩して、海に落ちそうになる。
「あぶないっ!」
春海はいるかの腕をつかもうとするものの間に合わない。
ほとんど飛びつくようにいるかの身体を抱えて
二人は一緒に海へ落ちた。
ザッッブ――――――ンッッ
大きな音を立てて二人は沈んでいく。
テトラポットにでも当たったら・・・
春海はいるかの頭と肩をしっかりと抱えていた。
「・・・ぷっは――――っ」
「ふぅ・・・」
「・・助かったぁ。ありがと春海。」
「おまえ、気をつけろよ。岩とかにぶつかったらおおごとだぞ。」
「うん・・・ゴメンね。気をつける・・・」
いるかは両腕を春海の首に巻きつけている。
ふと、春海は中二の水練大会を思い出す。
あのときも
当たり前のように腕を絡ませるいるかに少しドキッとした。
あのときより・・・
子供っぽいとばかり思っていたのに、二年ぶりにみたいるかの水着姿は
春海が考えていたよりもずっと変わっていた。
赤くなっている自分を見られたくなくて
おもわずいるかを海に放り込んだ。
いるかは春海の思いを知ってか知らずか、
するりと腕を離して深く潜っていく。
どこまでも透明な海に泳ぐいるかは八才までカナヅチだったことが
信じられないほどだ。
海の中を自由自在に、魚の仲間ででもあるかのようにすいすいと泳いでいく。
白い水着に太陽の光が水を通して当たり、
きらきらとまぶしく映る。
「・・・春海っ、こっちおいでよ、かわいい魚がいるよ!」
いるかが手を振っている。
春海は答えるかわりに笑って、まっすぐいるかに向かって泳いでいった。
「いるかちゃーんっ!」
「お―――――いっ、いるか!春海!」
しばらくして、巧巳たち三人が浜にやってきた。
いるかも春海も、いったん海から上がる。
「ふ――・・・ちょっとやすもっかな・・・」
いるかは薄いワッフル地のバスローブを上から着て
岩場のそばに置かれたデッキチェアに横たわる。
「徹くん、いこ!泳ぎ、教えてくれるんでしょ?」
「うん!・・・正美ちゃん、ちゃんと準備体操しなきゃダメだよ。」
「・・・徹って、こんなとこおまえに似てね?」
「・・・そーかも・・・」
いるかが言う。
「・・・そうか?」
春海はいつものポーカーフェイスで答える。
いるかの座るデッキチェアのそばのパラソルを開いて、
前髪から滴ってくる水滴をうっとおしそうに払いかきあげた。
二人は波打ち際からあまり遠くないところで泳いでいる。
徹が正美の手をとって、正美は顔を海につけてバタ足をしている。
いるかはひとり八歳の夏のことを思い出す・・・
「・・・俺も泳いでこよっかな。」巧巳が言った。
「あ、俺も行く。」
「・・・おまえは?」
Tシャツを脱ぎながら巧巳が聞いた。
「あたしはしばらくここにいるよ。
二人で泳いできて。」
「わかった。じゃ、あいつらのことも一応見といてくれよ。」
「うん、わかってる。」
いるかは波打ち際へ歩く二人にかるく手を振った。
あたしと春海が、鹿鳴会のみんながはじめて出会ったのは
二年生のとき・・・
今の徹くん達より2こ下くらいか・・・
春海は、そのころどんな子だったのかな・・・
好きなコとかいたのかな・・・
「・・・そうだよ、正美ちゃん・・・もっと足の力を抜いて・・・ん、上手上手。」
徹くんは自分だって泳ぎたいだろうに、
よく正美ちゃんの練習相手になってあげてるよね・・・
やさしいんだなぁ・・
確か春海は女なんかと友達にならねーよとか、
ずいぶんなことを言ってたっけ・・・
でも・・・そーいや春海だって夏休みの遊びたい時期を
あたしの練習のために割いてくれてたんだ。
あたしが急にいなくなって、春海はあのあとどうしたのかなぁ・・・
いつか聞いてみたいな・・・
海は時にエメラルドグリーンに、時に淡い水色に、
とりどりに色を変えながら空との境まで続いている。
いろんなことがあった夏だけど、最後にこんなことが待ってたなんて。
なんか夢みたいだな。
海があって、空があって、みんながいて・・・
いるかは空と海とが交わるところをずっと見つめていた。