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「昨夜は三味線までお弾きになっていたようですね。」
翌朝、いるかはめずらしく早くに目が覚めた。
台所にいってみると、すでに管理人の奥さんが朝ごはんの支度をはじめていた。
「うん…結構遠くまで聞こえたの?巧巳が弾いてたんだ。」
「それにきれいな歌も…」
「…ああ…あれ・・・」
「お歌いになってたのはお嬢様でしょう?
お母様とそっくりのお声ですもの。」
「・・・そーなの?そんなこと考えたこともなかったけどなぁ。
・・・あたしいまだに歌苦手だし。」
「そんな…もったいないですよ。あんなにきれいなお声なのに。」
「よしてってば…それより誰か琉球三味線弾ける人っていない?
巧巳がだいぶ弾けるようになったんだけどさ、せっかくならちょっと教えてあげられたら、って思って。」
「素人でよければ、弟が弾きますよ。今夜お伺いしましょうか。」
「ほんと?いいの?じゃあ、・・・お夕飯後にちょっときてもらえる?」
「わかりました。楽しみですわね。」
「うん、ありがとね。」
「さ・・・朝ごはんのお支度ができましたよ。」
「うわぁ、うれしいなぁ。今朝は何?」
「簡単なものですけど…アーサ汁とごはんに、切干大根や八角の入った卵焼き、ピーナッツ豆腐、ゴーヤとおじゃこのおひたしなんかですよ。」
「うーんおいしそー・・・昨日も正美ちゃんだって結構食べてたもんね。
普段はわりと食が細いって聞いてたのに。あたし、みんなを呼んでくるね。」
「冷たいさんぴん茶も冷蔵庫につくっておきましたから。」
「ありがと!じゃあまたお昼によろしくね!」
「あ、みんな起きてたの?」
「よぉ」
「おはよう、いるかちゃん。」
「お姉ちゃん、早いね。」
「…あれ、春海は?」
「あいつ、なんかまだ寝てるらしい。
…めずらし−よな、野球部の合宿でだって誰より早く目を覚ますやつがさ。」
「そーなの?」
「お兄ちゃんてさー、たまに寝てるとこ起こすとすごい不機嫌になるんだよね−…」
「そーなのか?…俺はいやだぞ、そんなやつを起こすのは。」
「僕だってやだよ−…」
二人の視線が一斉にいるかに向けられる。
「え…?あ、あたし?」
「おまえ以外に誰がいるんだよ。起こして来い。」
「・・・え――・・・・・」
「早くしないとメシが冷めるぞ」
「・・・わかったよぉ・・・」
「…春海、朝だよ」
恐る恐る声をかけてみる。
少し横を向いた寝顔、長い前髪が枕にかかって、静かな寝息を立てている。
うたた寝をしている春海を起こしたことはあるけど、
やっぱりキレイだなぁ…
「おきてよ。朝ごはんできてるよ。」
やはり起きない。
「春海ってば…」
肩を少し揺らしてみる。
「う・・・・・ん・・」
「…起きた?」
「・………いるか?!?!・・なんで・・」
春海はがばっと起きた。
「よかったぁ、この程度で起きてくれて。」
「…え?」
「徹くんがさ、春海は寝起きに不機嫌だって言ってたから。」
「・・・・・」
「さ、ご飯もうできてるんだよ。はやくいこ。」
「ああ…着替えたら…すぐ・・・いくよ・・・」
「…まだ眠い?なんだったら春海のぶん、とっといてあげるけど?」
「いや…いいよ。今行くから。」
「うん…じゃ、待ってるからね。」
そういい残しているかは部屋を出て行った。
…まったく心臓に悪い…
昨夜はいるかの姿が目にちらついてよく寝れなかったってのに
当人に起こされるなんて・・・
やれやれ、といった面持ちで春海は着替えて皆のところへ急いだ。
「お、きたな。」
「ああ・・・」
「今夜ね、ここのおじちゃんが巧巳おにいちゃん三味線教えてくれるんだって。」
「へー・・・」
「ね、食べたらすぐ泳ぎにいっていい?」
「ああ、いいよ。」
「やった!正美ちゃん、今日は一人でクロールできるようになるかもよ!」
「できるかなぁ・・・」
「できるよ。なんか正美ちゃん上達早いし。
ひょっとしたらいるかちゃんより早いかもよ。」
「え?お姉ちゃん?」
「いるかちゃんね、八才くらいまで泳げなかったんだって。」
「えっ、ホント?」
「ん---まあね・・・」
「なんだ、そうだったのか?おまえは歩く前から泳いでたクチかと思ったぜ。」
「・・・みんなそーいうんだよね―・・・さーて、ごちそうさまっ。泳ぎにいく支度してこなきゃ。」
いるかはそういって席を立った。
「…いるかちゃん、ホントに泳げなかったの?」
正美が聞いた。
いるかはひと泳ぎしたあと、徹の替わりに正美の練習相手をかってでていた。
正美の筋がいいというのはお世辞ではなくて、
コツを飲み込むのがうまく、手を引かれながらではあるもののクロールができるようになっていた。
「…ホントだよ。お水が怖くってね、二年生までずっと泳げなかったんだ。」
「どうして泳げるようになったの?」
「それは・・・」
つい、春海へ目を向ける。
「春海お兄ちゃん…?」
「…そう。」
「そうなんだぁ・・・そんな小さいころからなんだぁ…
じゃあ、お兄ちゃんがかなわないわけだよね。」
「まっ、正美ちゃん?!」
「わかるもん、そのくらい。お兄ちゃんはいるかちゃんが好きなんでしょう?」
「・・・・・正美ちゃん・・・」
「かわいそうだと思うんだけど、しかたないよね・・・」
「そんなことないよ、巧巳はすっごくもてるんだから。
もう、よりどりみどりだって!
・・・そろそろあがらない?」
「えー・・もう?」
「海の中は意外と冷えてるからね、まめに上がって体温を取り戻さないと。」
「うん、わかった。」
正美といるかは浜へあがっていった。
「でね、ここをこう押さえて・・・そうそう、兄ちゃん、覚えがいいね。
ギターかなんかやってるでしょ。」
「はい・・・まぁ・・・。」
「やっぱりね、ギターやってる人って教えなくても弾けるようになっちゃったりするんだよ。」
三十分ほど教えてもらうと、巧巳はかなり上手に弾きこなせるようになっていた。
「昨夜はティンサグヌハナやってたんだって?
かしてごらん、弾いてみせるから。・・・これはいい三味線だねェ・・・」
・・・てんさごの花や 爪先に染めて 親の寄せ事や 肝に染めれ・・・
三味線の音色は、沖縄の生暖かい湿った空気に染み込んでいく。
空気の震えが肌で感じられるほどだった。
素人だとはいっているものの、子供のころからこの歌い方になじんでいるのだろうか、節回しも堂にいったものである。
「昨日お姉ちゃんが歌ったのと歌詞かちょっと違うのね・・・」
「うん、これは沖縄のことばだからね・・・ちょっとわからないな。」
徹が答える。
「・・・嬢ちゃん、せっかく紅型を着てなさるんだから四つ竹持ってみるかい?」
「四つ竹ってなぁに?」
「・・・これのことさ。」
そういって正美は二枚の竹でできたカスタネットのような楽器を手渡された。
「これは本当は両手で持つものでさ、こうやって・・・」
カンッ
澄んだ、乾いた音色が響く。
はじめはきれいな音を出すのに苦労した正美もしばらく練習するときれいな音が出せるようになった。
もともとあまり動きのない琉球舞踊のこと、紅型を着た正美が四つ竹を持って鳴らすだけでもかなりそれらしい感じになる。
巧巳が琉球三味線を、正美は四つ竹を、いるかは歌を、それぞれ受け持つ。
山本兄弟はもっぱら聞き役にまわる。
四つ竹の乾いた音、三味線のしっとりとした響き、そしているかの歌。
沖縄の歌は地声で歌う。そう教わった。
歌いやすい節回しではなかったけれど言葉の一つ一つを大気に染み込ませるように歌い上げる。
いるかは自分自身がこの地にこの風にとけて一体になっているように感じる。
歌を歌うって、こういうことなんだ・・・
巧いとか下手とかではなく、自分と自分以外のものとをつなげること。
もっとも原始的な歌の何たるかをつかんだような気がした。
徹たち二人が眠そうにし始めたころ、
各自は自分の部屋に引き取ることにした。
部屋を出て行こうとするいるかの腕を、春海がそっと引く。
いるかにしか聞こえないほどの小さい声で耳元にささやいた。
「・・・浜で待っているから、着替えておいで・・・」