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海と空とみんなと F



  テトラポットを過ぎると波がだいぶ高く感じられる。
穏やかそうに見えた海もプールとは違って消耗が激しい。
三人は黙々と目的の小岩に向かって泳いでいた。
巧巳は自分から言い出しただけあってかなりのスピードだ。
春海は川で泳ぎなれているせいか安定している。
海のほうが体が浮く分楽なのかもしれない。
いるかも二人に負けじと小さい身体で波をかき分け進む。
 一番先にたどりついたのは巧巳だった。
岩に軽く手を触れ、岸へととってかえす。
続いて春海、わずかの差でいるかだった。
引き潮の時分、岸へと帰るほうが時間がかかる。
四度に一回だった息継ぎが二度に一回になる。
春海は安定していてスピードを落とさない。
巧巳は引き潮の強さを考えていなかったのか、少しスピードが落ちてきていた。
二人は真剣だ。
いるかにはそれがよくわかった。
こんな仲間内の競争だって二人は気を抜かない。
仲がいいというのは馴れ合うという意味じゃなく、ライバルだからなんだろうなと思う。
鹿鳴会のみんなを別にして、春海と肩を並べられる人間はいないと思っていたけれど
巧巳はそんな存在なのだろう。
いや、肩を並べるというよりは
少し見上げるような、そんな存在なのかもしれない。
駅伝大会の前にもそんなことを言っていたっけ。

 巧巳は、やっぱりすごいヤツだなと思う。
いろいろあったけど、好きにならずにいられない。
春海とは違った意味で、惹かれずにはいられない。
彼の弱さも、もろさも、やさしさも。
強さも、大人っぽさも、強引さも。

 東京では一種の近寄りがたさを漂わせていた彼が、ここではすっかり打ち解けている。正美ちゃんと一緒というのもあるのかもしれない。なくしかけた大切な 存在を、彼なりのやり方でとても大事にしているのがわかる。正美ちゃんもまた、自分が兄を救っているのがわかっているのだろう。二人がいっしょにいる姿は 傍目にもまぶしいほどだった。
 一人っ子のいるかは兄弟というものを知らない。春海と徹の姿を見てほほえましいと思うことはあったけれど、ちょっとうらやましいと思ったのは初めてだっ た。年のはなれた恋人のように、甘え、あやし、見守る姿は東京では見たことのないものだった。
―――徹くんも大変だろうなぁ・・・
そんなところにまで思いが至ってなんだかおかしくなる。

 岸はまだ遠い。
少し息が上がってきた。
二人との差は縮まっていない。
けれどひろがってもいない。
いるかは考えるのをやめて泳ぎに集中する。
―――あたしだって負けるわけにはいかないもんね。
春海と巧巳が相手だからって負けたくはない。
―――よしっ、ラストスパート!!
岸がだいぶ近づいてきたとき、それまでとっておいた力を一気に体に流す。
名前さながら、白イルカのように波間をくぐって岸へと進む。
「いるかちゃんがんばって!」
「あとちょっとだよ!もう追いつくよ!」
徹と正美の声が切れ切れに届く。

 
 三人が岸に着いたのはほぼ同時だった。
少し上がったところに正美が植えたハイビスカスの枝を取ったものが勝ち、そういうことになっていた。
あがった三人は一斉に走り出す。
が。

「ぎゃ――――っっ・・」
 
どさっ
 
いるかは足に絡まっていた海草を踏んで派手に転んだ。

「おいっ、大丈夫か?」
「いるか?」
二人はいるかのところにとってかえす。
「うん・・・へーき。転んだだけだもん。」
二人それぞれに腕をつかまれて立ち上がった。
「ったくよく転ぶやつだな」
「・・・特に砂浜でね」
「・・・・・」
「・・・・・・・・・・!」
春海の一言にいるかと巧巳はギクッとした。
と、春海は走り出した。
とっさにあとを追う二人。
けれど間に合わない。
ハイビスカスの枝は春海の手に渡った。
春海は二人のほうへ振り返ってしてやったり、というふうに笑う。
「おまえ・・わざと?」
「は・・・・・春海っ!!!!」
「甘いね、あのくらいのことで動揺するなんざ。」
口の端に笑みを浮かべ春海はしてやったり、という顔を見せる。
「こっこいつ・・・・・」
「・・・・!!」

次の瞬間、春海は後ろから羽交い絞めにされていた。
 
 午後は皆で市内へ出て、公設市場で買い物をしたりご飯を食べたりした。
東京ではなかなか見られないフルーツもたくさんあって、名前もうろ覚えのまま買い込んでみたり、見たこともないようなキレイな色の魚が売られているのを楽 しんだり。
巧巳は親父への土産だといって泡盛を選んでいたがいつになく真剣なその目つきはいるかと春海のからかいの的になった。また、琉球三味線の店ものぞいてみた が、いいものほどその値段も桁外れなので買って帰るのは諦めた。藍おばさんにはもろみ酢を、生徒会役員のみんなにはちんすこうなどのおかしをいろいろ買い 込んだ。
午後はそんなふうに過ぎていった。
 
 最後の夜だというので夕食はいつもより盛り上がり、誰が注いだのかオリオンビールに泡盛も少々手伝って、巧巳は早々に寝てしまった。徹も正美も明日はは やいというのではやめに休む。いるかは正美の着ていた紅型の浴衣をきれいにたたんでたとう紙に包んでいた。
手際よくきちんと折り目をつけてたたむ姿に、春海は見るともなしについ目がいってしまう。
普段あまり感じない女らしさが指先から手の動きから香ってくるようだった。
夏休み高校対抗駅伝大会でいるかの超人的な脚力を目の当たりにしたあとだけに、このギャップは春海を戸惑わせる。

「春海・・・?春海ってば!」
「え?あ・・あぁ・・何?」
「もう、何度も呼んでるのに。これ持ってついてきて。」
先ほどたたんだ着物をさして、いるかは先に立って離れに向かった。
 
 ほのかに樟脳と白檀の香りのする桐箪笥に着物をしまい、カーテンのひらめく窓から外を見つめている。
春海は体の熱が伝わらないだけの距離をもってそばにたたずむ。
ここからもアダンや椰子の木のあいだからムーンロードを遠く見ることができる。
満月には少し足りない十三夜の月である。
「あっという間だったね・・・」
「・・ああ・・・」
かすかなため息がいるかの唇からもれる。
窓から入ってくる風は二人の髪を揺らす。
「もう夏も終わりなんだなぁ・・・・暑さはもうすこし残るんだろうけどさ・・・」
「いるか・・・」
「ん?何?」
「目を閉じて。」
「え?何で?」
「いいから。おれがあけていいって言うまで。」
いるかは言われて素直に目を閉じる。
 
  春海はポケットにしまったままだった薄紫色のちいさなケースを取り出す。
中はほんのりとピンクがかった真珠のペンダントだった。珠はさほど大きくないが、傷ひとつない巻きも照りも申し分ないもので、白金でV字の羽の形をした トップにぶら下がっている。鎖はやや細めの肌に吸い付くよ うに編まれたもの。今日の午後、市内に出た折に目に留めたものだった。
 引き輪をはずし、彼女のうなじの後ろで止める。
鎖骨のくぼみに真珠がおさまって揺れるさまがかわいらしい。
子供っぽくもなく、さりとて大人すぎもしない。
いるかは何か首につけられたことは感じて指先で触れてみるが、
律儀に約束を守ってまだ目を閉じたままだ。
白い麻のノースリーブ開襟シャツに大きく花のプリントされたフレアスカートという今のいでたちにもよく似合っている。
「いいよ、目をあけて。」
「・・・これは?見てきてもいい?」
春海は無言でうなずく。
いるかは小走りでバスルームへ、そしてほんの少し頬を染めて帰ってくる。
「・・ありがとう・・・わたしにはもったいないくらい・・・」
「このあたりで採れたものらしいよ。・・・よく似合ってる・・・
ことしの夏は結構東京を離れてておまえの誕生日もそんなだったから・・・」
 春海はいるかの頭をそっと自分の胸に引き寄せる。
沖縄に来て以来、なんとなく触れることを避けてきた。
手を伸ばせばすぐ届くところにいるからこそ、簡単に触れてはいけないような気がしていたのだ。
もうしばらくは、少し距離がほしいと思う。
不用意に触れては何かを壊してしまいそうで、怖い。
少し離れたところからでなければ、何かを見落としてしまいそうで怖い。
いつからか距離を測ることを覚えて、でもそれはいつだって彼女に振り回されてきた。
これからも、きっとそうだろう。
いるかはいつも思いがけない方向から春海を揺さぶってくるのだから。
 

◇◆◇◆◇◆◇

 
 出発の朝、いるかは早く目覚めて一人浜へでていた。
去年、倉鹿から東京へ帰るときに来ていた花柄のワンピースに
昨日のペンダントをつけている。
サンダルを脱いで、これが最後の沖縄の砂浜を素足で確かめる。
 
いるかはこの夏で16になった。
16才---結婚できる歳に。
結婚などまだまだ先に違いないけれど、春海より少しはやく大人になったような、こそばゆい感じがする。

先のことはわからない。
いつまでもこんな日々が続くとは限らない。

 去年の夏、急に両親が帰国したことで、いるかは思い知らされたのだった。だからこそいまを大事に、いとおしんで生きていこうと思うようになった。

これからのことを案じるより、今を大切に・・・
いま、春海がそばにいてくれるだけで、それでいい。

 でも、もしかしたら・・・ふと遠い未来のことを思う。
春海と結婚して、徹くんと正美ちゃんも結婚して、巧巳にも誰かいい人ができて、またこのメンバーでここに来ることがあるのかもしれないと。
そして今回の旅行のことを思い出しては懐かしく語り合う姿を想像する。
いるかは波に足を洗われつつしなやかな鎖に指をからめて一人微笑んだ。
まつわりつく鎖が心地好く、首筋に彼の存在を感じるような気がする。
16になると誕生日にもらうものも去年とだいぶ違う。
偶然だったが、父からも一連の真珠のネックレスと揃いのイヤリングををもらっていた。
だんだん自分が大人として扱われていくのがわかる。
親も、そして春海も。

じゃれあうようにいつも一緒にいた倉鹿での日々。
高校に入ってからずっと感じていた彼との距離。
それをさびしいと思ったこともある。
けれど、離れているからこそ感じる―――
離れているからこそ想う―――
そんな関係は自分を少し大人にしたかもしれないと思った。
 

「ここにいたのか。」
「・・・春海」
気がつくとそばに春海が歩み寄ってきた。
「・・・・」
「どうかした?」
「・・・覚えてるよ、そのワンピース。」
「そう・・・あのときの。」

二人は言葉をなくす。

夏は終わりに近づき、波はいくぶん高く、二人のまわりに打ち寄せる。
どちらからともなく、そっと目を閉じて唇を重ねる。
海を渡ってきた風が二人をやさしく包んで、
白い砂に映る長い影はひとつに重なる。
 
閉じられたパラソルと置き忘れたハイビスカスの枝がどこか寂しげに
去っていく彼らを見送っていた。


◇◆◇


いろんなことのあった夏が終わっていく。

春海がいて巧巳がいて
正美ちゃんがいて徹くんがいて

皆がそろって笑顔で。

眠そうな巧巳の顔
少し日焼けして健康的になった正美ちゃんの顔
去年よりは少し大人びた徹くんの顔

そして

振り返ればすぐそこにある
春海の
やさしいまなざし。
大人びた顔立ちも少しだけ少年の無邪気さを漂わせ、
いつも心を上手く隠す目許も少し開放的に気持ちをのぞかせる。
やさしさにはやさしさで
笑顔には笑顔で
気持ちを伝えたい。いつも。
春海、だいすきよ―――
いるか、好きだよ―――
ふと交わる視線に同じ想いを読んで、心が躍る。

ありがとう 海も 空も みんなも

ありがとう 風も 花も 

ありがとう あの歌 あの音色 

あたし、きっと忘れない―――。

東京へ帰る飛行機の中、いるかは遠くなる景色を心に焼き付ける。

明日から始まる新しい日々に埋もれてしまう前に
去っていく夏を惜しむように。



(終わり)



こ れまで読んでくださってありがとうございました


「倉鹿写真館」に「海と空とみんなと」のイメージ写真が数枚あります。
お時間のある方はぜひご覧くださいませ。

沖縄でであったすべての人に
海に空に風に花に歌に
感謝を込めて

そして
その文化と歴史に心からの尊敬と哀悼の気持ちを込めて

2003年8月 水無瀬

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