シンデレラの予感 A






 翌日曜日、例のカメラマンは二人の男を連れているかの家にやってきた。
いつも不在がちのいるかの両親も、この日はそろって家にいた。
六十がらみの品のいい紳士が深々と頭を下げる。

「はじめまして。私は紫星堂社長の近江と申します。
こちらは広報宣伝部長の大平。
カメラマンの西園寺君のことは―――お嬢さんはご存知ですね?」

そういっているかの方を見た。

「如月です」

鉄之介は物柔らかな口調で言った。

「お嬢さんからお聞きおよびかと存じますが、
来春のわが社の広報にぜひ、お嬢さんをモデルとして起用させていただきたいのです。
もちろんまだ学生でいらっしゃるのですから、学校生活に影響のない様、最大限の配慮はさせていただきたく存じます。
こちらの西園寺君は若いながらなかなか優秀で、私はモデルの起用を彼に一任してあったのですが、彼がどうしてもお嬢さんを、と―――こういうわけなのですよ。」
コマーシャルに起用するモデルの自宅を社長が訪問するなど異例中の異例である。
それだけ西園寺の希望が強かったのと、近江社長が彼を買っていることの現れであった。

「・・・娘はまだほんの子供で、とても紫星堂のような化粧品会社の広告がつとまるとは思えないのですが・・・」
鉄之介は少し困ったような、やさしげな表情で答える。

「そんなことは・・・。来春の宣伝テーマは「シンデレラの予感」といって少女が大人に変る、その瞬間の美しさをイメージしたものなのです。
お嬢さんのような方がぴったりなんですよ。」

社長はいるかのほうを向いて人のよさそうな顔でニコニコした。
鉄之介と葵はお互いの顔を見合わせてどう返事をしたものか考えあぐねている。

「けれど、学校が・・この間娘がちょっとした広告のモデルになったときは、厳重注意を受けたんですよ。
アルバイトは禁止だというので・・・」

葵は少し心配そうである。
「奥様、それでしたらご心配いただかなくてもいいかもしれません。
実は私も里見出身でしてね・・・高等部長は同期なんです。
昨日電話しましたらね、学校生活に影響がでないようにすることと、里見の名を出さないようにすること、あと、他の生徒や父兄に秘密にすること、この三つを守れば黙認しようといってくれました。」

近江社長はあくまでもニコニコとしている。

「そうはおっしゃっても、何しろ紫星堂の広告です。
年頃のお嬢さんや父兄の目に留まらないとは、私にはとても思えないのですが・・・」

鉄之介はあくまでも穏やかに話を続ける。

「それはそうでしょうが・・・これはただのアルバイトではありません。
ちゃんとしたお仕事です。
一種の社会勉強とでも思っていただいて・・・」
「私としては娘が広告に出ていることが知れ渡った場合、学校側がどんな対応をしてくるのか、それをはっきり知っておきたいと思います。」
「ごもっともです。
昨日聞いたところでは、事前に学校に相談があって、かつ十分な理由があり、保護者の了解があった場合、例外的に認めると生徒規則にも明記してある、とのことでした。
ですので、それほど問題にはならないかと存じます。」
「・・・そうですか・・・」
「送り迎えは車で、学校からスタジオ、ご自宅までお送りさせていただきますし、
夜遅くまでお引止めすることは決していたしません。
ただ、じき学校がお休みに入られると思いますので、そうしたらしばらく朝から通っていただくことになろうかと思いますが・・・」
「どのくらいの期間かかるものなのですか?」
「ポスター撮りに大体3日、CMの撮影は休みに入られてからということで丸2日ほどかと思います。
そのほか打ち合わせなどで数日お越しいただくことになろうかと思いますが。」
「・・・そのくらいでしたら・・・」
「いかがでしょうか。お許しいただけないでしょうか?」
「そうですね・・・親としては・・・十分ご配慮いただいていると思います。
あとはこの子しだいですね。」
そういって鉄之介はいるかのほうを見た。
「お前さえやってみたいのなら、私は反対しない。どうする?
この場でお返事できるか?」
「そうね・・・紫星堂といえばいるか、一流よ。
そんなところからご依頼を受けるなんて、そうそうあることじゃないわ。」
みんなの目がいっせいにいるかを見つめる。
「あ、あたしは・・・」
どうしよう?
モデルなんて、この前が最初で最後だと思ってたのに。
大体なんであたしみたいのが化粧品会社の広告になるんだか、
さっぱりわかんない。
もっとかわいい子ならいくらでもいるだろうに・・・
 
 決めかねて迷っていると、ふと西園寺の視線を感じた。
この前は暗がりでよくわからなかったが、なかなか世慣れた精悍な感じのするハンサム―――その目には強い輝きが―自信が―ある。
(・・・逃げるのか?)
その目はいるかに向かって、そう呼びかけていた。
挑発的な表情に、いるかもきっと見返す。
西園寺はふっと表情を和らげて、

「今すぐお決めになれないのも無理はありません。
今日は私の作品を少し持ってきたのです。
これをみて、もし私と仕事がしたいと思ったら―ご連絡ください。」

西園寺はそういって、重そうな写真集を一冊テーブルの上に置いた。
 

Tetsunojyo saionji   ‘the immortal flowers’
 
 葵が本に手を伸ばす。

「・・・まあ・・・なんて・・・」

言葉が続かない。

「西園寺君は国内国外で数々の賞を取っていましてね・・・
今回は私が無理を言ってわが社の広告をお願いしたんですよ。
彼の手にかかるとどんなものでも・・・そう、なんていうか・・・
まるで別の命を与えられたように見えるんです。
いや違うな・・・隠れていた部分があらわになるというか・・・
ともかく天才ですよ、彼は。」

近江社長は西園寺をよほど高く買っているらしい。
 
 いるかは、西園寺から目を離せない。
(どうした、怖いのか・・・?逃げるのか・・・?)
西園寺は、口の端に挑戦的な笑みを浮かべているかを見つめている。
売られた喧嘩は必ず買ってきたいるかである。
こんな風にばかにされては黙っていられない。
だが、これはただの喧嘩を売られているのとはわけが違う。
相手は一応大人だし、こんな申し出なんて断ったほうがいいだろうって、思う。
面倒なのは嫌いだし、写真を撮られることが好きなわけじゃない。
しかもこんなおおきな話、春海はどう思うだろう・・・
春海だけじゃない、学校の皆にだっていつか知れてしまうことだ。
こんなことで目立つのも好きじゃない―――
社長のおっちゃんはあたしのような子がなんとかって言ってたけど、
あたしなんかにそんなモデルがつとまるわけがない。
いくらなんでも見込み違いだと思う。
でも・・・
西園寺の目は執拗にいるかを見つめる。
いるかも、西園寺から目を離せない。
口元には小ばかにしたような笑みが浮かんでいるものの、その目は恐ろしいほど真剣だ。
この人には逆らえない、そう思わせる何かがあった。
このまま断れば、何事もなくてすむ。でも・・・
 引き下がれない―――
 

「この話、お受けいたします。」
 

いるかは、西園寺の目を見返して、はっきりとそういった。
 





 
如月邸から帰る車の中で、近江社長と西園寺は話していた。
 
「・・・最初はあまり気乗りしない様子だったがね、よくあの場でOKしてくれたものだ。」
「・・・お任せくださいと申し上げましたでしょう?
しばらく観ていて、私にはわかったんです。
あれは、気の強い、喧嘩を売られたら買わずにはいない子だってね。
うまく挑発に乗せたんですよ。」
「そういえば君はずっと彼女を見ていたようだったね。」
「そう・・・言葉にこそしませんでしたけど、私とあの子−如月いるかとの勝負はすでに始まっているんですよ。」
「勝負とはまた・・・大げさだね。」
「大げさじゃありませんよ・・・私はいつだって被写体とは真剣勝負だと思っていますから。
「・・・では、如月いるかさんには・・・勝てるのかね?」
「もちろん、そのつもりです。なんとしても・・・やっとの思いで見つけたんですからね。
非常に撮りがいのある被写体ですよ、彼女は。
素人だけにいろいろ手間もかかるでしょうが、それもまた楽しみですね。」

西園寺は、手間、というところを微妙に強調し、例の自信たっぷりの表情で薄く微笑んだ。
 


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