シンデレラの予感 B






  お風呂から上がって髪を乾かしていたいるかは、
ふと居間に置かれたままの写真集に目を留めた。

どんな写真を撮るんだろう・・・

重い本をひざに乗せ、いるかはページを繰り始めた。



花・・・花・・・花ばかり。

バラ、グロリオサ、アジアンタム、デンファレ、ポインセチア、アルストロメリア、フォックステール、蓮、百合、そのほかいるかの見たこともない花々。
けれど、それはただのきれいな花の写真ではなかった。
大写しにされた花芯部はどこか見てはいけないものをみているような、そんな気にさせる。
花弁のほんの少しの黒ずみは、これから死にいこうとする花の不吉な予兆のようにも見える。
満開の中に潜む死、そして死にゆく、枯れゆくさまがなんと妖しく、美しく・・・
花の発する妖気、枯れる直前の、醜く姿を変えつつも抗いがたい力で放つ異様な美しさ。

(こんなの、見たことない・・・)

いるかはおそれと感動に震えた。
花の写真なのに、顔が赤くなるほど、妖艶だった。

盛りの花を美しいと思い、枯れたらそれまで―――

生きているものは尊く、死は悲しいもの―――

体に染み付いていたそんな感覚が覆されるほどの衝撃だった。
あの西園寺って人は、只者じゃない。
いるかは、はっきりとそれを感じた。
さっきの態度はあまりにばかにしているようで、挑発に乗りやすいいるかの性格では引き下がれなかった。
けれど今は、西園寺銕之丞というカメラマンにはっきりと惹かれるものを感じていた。

 
 翌日、いるかは久しぶりに軽音部に顔を出した。
いまだ正式の部員届けは出せずにいるが、晶や皆の音楽に身を浸すのは好きだったし、自分の声も好きになりかけていた。
 巧巳の以前言ったことは正しくて、超のつく音痴だと自分を思っていたいるかも今では音程をはずすことはほとんどない。
ただ、人前で好きだとか愛してるといった歌詞を歌うことにいまだになじめずにいる。
晶はそんないるかの気持ちを察して、最近は洋楽のコピーをするようにしてくれている。
英語なら人前で歌ってもそれほど恥ずかしくない。
何しろ何を歌っているかほとんどわからないのだし。
バンドの他のメンバーが帰ったあと、晶といるかは二人部室に残ってCDを聴いていた。
楽譜など読めないいるかは耳で覚えるほうがはやいのである。
 
「ねぇ・・・晶。」
「何?いるかちゃん。」
「晶って、まえモデルやってたっていったよね。」
「うん・・・もうずっと前だけど。それがどうかした?」
「ん・・・どうしてやめちゃったの?」
晶は突然の質問にきょとんとした。
「どうしてって・・・私、撮られるより撮る方が好きだって気づいたからかなぁ・・・」
「・・・撮るほうって?」
「うん、私写真ってすきなのよね。
時々カメラ持っていろんなものを撮りに行くの。
花とか、雲とか、街中の景色とか・・・」
「そうなんだ・・・しらなかったなぁ・・・」
「うん。あまり友達にも言ってないから。」

晶はどこか秘密めいて見えるけど、確かに自分のことはそれほど話さない。

「じゃ、さ・・・西園寺銕之丞って、知ってる?」
「もちろん。写真家でしょ?彼の写真、すごくすてきよね。
いるかちゃんが知ってるって、ちょっと意外だけど。」

晶はそういってくすっと笑う。
いるかはちょっと頬を赤らめる。
「じつは、さ・・・・・」
 


 
「さすがに西園寺銕之丞、だと思うわ。」

いるかからひとしきりいきさつを聞いた晶は開口一番こういった。

「この前の雑誌広告でも思ったの。
いるかちゃんって、すごくお化粧によってイメージが変るのよね。
たぶん肌色がいいからだと思うけど・・・
ほんのりピンクのアイシャドウをして、ちょっと節目がちにしてたら
誰もあの元気ないるかちゃんは想像できないわ。
でもね、いるかちゃんだからこその生き生きした感じとか、にじみ出てくるようだった。
すごく奥行きのある表情だなーって思ったの。
モデルってね、ただ笑っていればいいってものでもないのよ。」

いるかはこれまで例の雑誌広告の件ではからかわれるばかりで、こう
いったことは言われたことがなかった。
うまく化けたとか、馬子にも衣装とか、結構ひどいことを言われた気がする。
もちろん、春海は別だけど・・・

「じゃあ、あたしなんかでほんとにいいのかな・・・」
「何よ、話を受けておきながらまだ迷ってたの?」
「そりゃ・・・だって・・・」
「もう、いるかちゃんらしくないよ?!」
晶はそういっているかの背をぽんとたたいた。
「いるかちゃんなら、きっといい作品ができるよ。
モデルって仕事も意外と体育会系で、いるかちゃんに向いてるかもしれないしね。」
 



 
「でね、やることにしたの。」
「・・・何を?」
「何をって、この間春海も聞いてたでしょ。
紫星堂の広告。」

いるかはできるだけさりげなく話を切り出した。

「・・・・・・」
「・・・春海?」
「・・・お前がやりたいのなら、俺は何もいうことはないよ。」
「春海?・・・どうかしたの?」

春海の家で夕食をご馳走になったあと、和室を勉強部屋にして二人は向かい合っていた。

「いや、別に・・・コーヒー、もう少し飲むだろ?」

春海はそういって二人の飲みさしのカップを持って台所に向かった。
後姿を見ているかは思った。

(やりたくてやるわけじゃない・・・あっちの挑発に思わず乗ってしまっただけ・・・でもあの人の写真はすごいと思う・・・晶はあたしの表情がいいといっ た・・・西園寺銕之丞は、確かに、天才なんじゃないかって思う・・・)

言いたいことがぐるぐると頭の中を駆け回る。
なぜかいるかは春海に対して後ろめたいものを感じていた。
頭の中を駆け巡るものが、すべていいわけのような気がして、口にすることができない。

「春海・・・」

キッチンでマンデリンを淹れなおしている春海の肩越しに声をかけた。
春海の淹れるコーヒーはとてもおいしい。
深みのあるよい香りが部屋中に漂い始める。

「・・・熱いぞ」
「ん・・・ありがと・・・」

カップを両手で包んで香りをかぎ、ほんの少しコーヒーを口に含む。

「・・・いい香り・・・」

ふと上を見上げると春海と目があう。

「あたし・・・」

いいあぐねているいるかをみつめて、春海はふっと微笑み、ぽんぽんと頭を軽くたたく。
わかってるよ、ということだ。
 
 カチャリ。

「いい香りが、あっちまで漂ってきたよ・・・お兄ちゃん、僕にもコーヒー。」

徹がキッチンに入ってきた。

「徹、お前まだ勉強してるのか?」
「僕だって来年は受験生だからね・・・」
「そっかー・・・徹くんはどこ受けるの?やっぱり里見?」
「うん。今はそうしよっかって考えてる。」

徹は自分のカップにコーヒーをなみなみと注ぎ、じゃ、と言ってそのまま自分の部屋に帰っていった。
倉鹿にいたころ一緒にちゃんばらごっこをしていたいるかとしては、徹の成長ぶりが嬉しいような寂しいような複雑な気持ちである。
このところ身長も伸びて、いるかとそれほど変らなくなっている。
いるかはと言うと、高校に入ってからもすこしずつは伸びているものの、やはり四捨五入して150センチの域を出ない。
春海よりすこし甘い感じの、優しげな目元はだんだんと大人びてきて、いるかの浴衣を握り締めたまま寝入った幼い少年の面影が薄くなっている。
春海も同じことを考えていたようだ。
二人は出ていいく徹のあとを見つめ、どちらからともなく目と目を合わせ、ふぅと小さな溜息を漏らした。



 


 いるかを駅まで送って、吐く息が白くなる夜道を春海は歩いていた。
ものわかりのいい振りをして、何か言い残している気がして、落ち着かなかった。
西園寺銕之丞―――春海にとって、はじめて聞く名ではなかった。
ニューヨークでの個展の成功、音楽家とのコラボレーション、日本人ではじめてとった賞の数々・・・
新聞で何度か目にした名だった。
それが、あんなに若い男だったとは知らなかったが。
しかも―――これは認めざるをえないが―――いい男だった。
彼が真剣なのはすぐわかった。
そして、芸術家特有のものなのだろうか、強引で、抗いがたい何か―――を感じずにはいられなかった。
いるかのことは信じている。
今までも、ずっとそうしてきた。
進のことも、巧巳のことも・・・だが今回は・・・
 
 春海はいるかのことになるととたんに自信のなくなる自分に気がついて、苦笑いをした。

ただの広告だ、ただの、撮影期間だけの・・・

無理があるとは知りながら、春海はそう自分に言い聞かせて
夜道を家に急いだ。


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