桜ほころぶ倉鹿市・・じゃなかった雪の舞い散るフォンテンブローの森・・・
おりしもこの森に冬の嵐のごときあいつがやってきた。
うららかな春分の午後、春海はうなされていた。
すっかり日が落ち、冴え返った空気が彼をしっかりと包んでいた。
寝返りを打つと、冬の新潟港の情景がおぼろげに浮かんだ。
春海はいるかを追いかけていた。
懸命に追いかけ、やっと見つけ出した。
「ばかやろう!どんなにさがしたと思ってんだよ。さあこいよ帰ろう。」
いるかは春海を見上げると、切なそうな顔でつぶやいた。
「春海!あたし今帰ったら山本代議士の息子って人と結婚させられる!」
春海は微笑んだ。ばかだなこいつ・・・
「いるか!それはおれだよ!」
いるかはぱっと顔を輝かせた。
「そうなの?!はじめからわかってりゃ家出なんかしなかったのに。」
春海の全身に喜びが駆け巡った。
ずいぶん話が早いな・・と思ったが素直に愛を打ち明けた。
「いるか・・・愛してるよ・・・。結婚しよう。」
いつかのライブ・コンサートのように、二人は愛の二重唱を
高らかに歌い上げた。
「<<喜びに胸があふれる思いよ!>>」
新潟からの夜行を降り、新宿駅で乗り換えようとしたところ
偶然進を見かけた。
あいつこっちに来てたのか。そうか春休みだもんな・・
春海は懐かしそうにあいさつをした。
「あ、進じゃないか。久しぶりだな。」
進はなにか悩みがあるような顔つきをした。
そしていった。
「ああ。いるかは元気かい?
・・・実はおれまだいるかのこと好きなんだ。」
進は春海の肩に腕を回すと歌いだした。
男同士の友情の誓いを歌い上げた感動的な二重唱である。
「<<神は我らの心に 同じ炎をともされた>>」
進は感極まった面持ちでいった。
「春海!おれたち親友だよな!」
春海はいきなり歌いだした幼馴染を気味悪そうに眺め、言い放った。
「つーか親友だっていうならいい加減あきらめろ!」
そこへ春海の父が現れた。
同じ東京に住んでいるというのにめったに顔を会わせない。
「ロドリーグ・・・じゃなかった太宰くん、大きくなったね!」
「は、ご無沙汰していますおじさん。」
進と父は視線を絡ませた。
二人のまなざしにはなにか秘密のにおいがした。
この場は進にまかせ、春海は姿を消した。
どのみち父とはあまり話題がないのだ。
春海の父も重厚な声で歌いだした。
「<君は 大胆にわしの王座を眺めているが>」
そして深いため息をつくと、いった。
「うちの家庭は複雑でね・・。私は不幸な父親だよ。」
進は親友の父にいきなり家庭の悩みを打ち明けられて面食らった。
しかし事情を知る彼はあまり同情心がわかなかった。
「なにをいきなり・・。でも自業自得じゃ・・い、いえなんでもありません!」
春海は家路を急いだ。いるかから電話が掛かってくる予定なのだ。
ふと寒さを感じポケットに手を入れると何かがカサカサと音を立てた。
取り出してみるといるかからのメモであった。
「ん?・・なんだこれ。上着のポケットにこんなもんいれたっけ?」
春海は読み上げた。
「<真夜中に 王妃の庭で・・>」
あいつもかわいいことしやがって・・・
こんなロマンチックなこと書いてきたの初めてだな・・・。
春海はうきうきと指定の場所へ向った。
いるかが指定した場所は国定公園のど真ん中で非常にわかりづらい
場所であった。日本のフォンテンブローの森と呼ばれる絶景である。
春海は真夜中になってからたどり着いた。
手持ち無沙汰に月桂樹の葉をもてあそんでいると、メモが結び付けて
あるのに気がついた。
「ここでいいのかな・・ん?何かまたメモが・・なになに・・
とーぶん帰らないけどしんぱいしないでね??なんだこりゃ・・」
そこへひとつの女の影が現れた。いるか?
女はいきなり怒鳴りだした。
「あなたはいるかちゃんを愛していらっしゃる!」
その影はまのかだった。なぜか王朝風のロングドレスを着ている。
春海はびっくりしたが、冷静な声でいった。
「まのか?そんな格好でどうしたんだ?それに・・・前から知ってただろ。」
まのかはヒステリックな声で歌いだした。
「<不幸におなり!不倫な息子!>」
「なにが不倫だー!」
まのかのあまりの剣幕に春海はほうほうの体で逃げ出した。
門へ向うと春海の父が難しい顔をして立っていた。
春海はとりあえず声をかけてみた。
「まったくおかしなヤツらばっかりだ・・。あ!いるかを知りませんか?」
春海の父は悩み深い声で打ち明けた。
「もちろん知っているさ。いるかさんにはわしと結婚を前提としたお付き
合いを申し込んだのだよ。しかし・・」
父はまた歌いだした。
「<あれはわしを愛していない>」
春海は激昂した。
「当たり前だ!」
以前から疑っていたとおり、やはり父はいるかを愛していたのだ。
そこへ進が声をかけた。
「春海、ばかおまえの出番じゃないだろ!」
春海はやっと合点がいった。
「出番?あ、これ芝居だったのか。・・邪魔したな。」
どうも様子がおかしいと思ったぜ・・
とりあえずすぐいるかを探さなくては。
「で、では・・。・・お父さん。先を急ぎますので失礼します。」
春海の父は意外なことをいった。
「きみにお父さんなどと呼ばれる筋合いはない!」
いつか聞いたせりふだな・・
と思ったがそれが何なのか思い出せなかった。
春海は怒鳴り返した。
「あんたは実の父親でしょうが!他に何て呼べばいいんです!」
春海の父はにこりともせずお茶目な口調でいった。
「うーむ。さてぼくの名はなんでしょう!」
「クイズかい!」
彼は小道具を取り出した。
春海が中学時代に使っていた竹刀である。
「正解したらこの剣をやろう!」
「それはもともとぼくの物です!」
春海は父のひょうきんな言動に呆気に取られた。
普段から父は実の息子たちにもなかなか本当の姿を見せない。
実の父の隠れた一面を垣間見ることができたが、
春海はまったく嬉しくなかった。
知らなければ良かった・・と思った。
もうこの人はいい・・
春海は如月家に足を向けた。
「山本です。こんにちは。・・・いるかさんはいらっしゃいますか?」
彼女の両親は憔悴した様子だった。
無理も無い、一人娘が家出していたのだ。
取り急ぎ春海は不思議なメモを彼らに見せた。
もしかして家出する前に書いたのかな・・紛らわしいことしちまったな・・
と反省していたが、彼女の両親の様子には心当たりがありありと感じられた。
「ええっ書きおきっ」
いるかは今朝帰ってきたばかりなのに、なんとまた家出したのだ。
春海は呆気にとられていった。
「ほんとに家出したんですか いるかは!」
鉄之助はあわてふためいた様子でいった。
「わーっ わたしがあんな話をしたばっかりに」
このオッサンの相手を始めると長いからな・・・
まったく当てにせず、春海はとりあえず家に帰ることにした。
いるかからは何の連絡も無いようだった。
春海はうとうととし始めた。
無理も無い、ほとんど丸二日寝てないのである。
春海は新潟の夢を見ていた。
「春海ーっ」
「いるか!?白無垢なんか着てどうしたんだ!」
「春海ごめん。待ちきれなくて・・この人と結婚したの。」
「な なんだってー!?」
うなされる春海を誰かが揺り動かしていた。
めずらしく帰宅した彼の父である。
やっぱり邪魔なので竹刀を返しに来たのだ。
また節をつけて歌った。
「<息子よお前の剣を返そう>」
父の耳障りな歌声で夢から覚めた春海は思わず怒鳴りつけた。
「遅えよ!」
しっかりした息子だと思っていたが・・
やはりまだ親が必要な年頃なのだと思った。
彼は息子を一喝した。
「春海!父親に向ってなんという口のきき方だ!」
まだ、現実と夢の境目を漂っているような気分だった。
誰かが春海に囁いた。
「おい!セリフだよッ。
<お前に息子などもう無い!>」
いつかのウエストサイドの舞台が頭を走馬灯のようによぎった。
春海は負けじと朗々とした声で歌いだした。
「あっ、そうだっ。
<お前に息子などもう無い!>」
あ、おれフランス語しゃべってる?!しかも歌ってるし。
さすがは山本春海だぜ・・・。
彼はわれながら悦に入った。
父とのやり取りを覗き見ていた徹が甘えるようにいった。
「まだぼくがいるよ!」
「え・・。」
父は相好を崩して笑った。
やはり末っ子はかわいいな・・と思った。
「徹、大きくなったな!」
「当たり前だよ!もう中学生なんだから。」
「ははは。そうだったな。」
和気あいあいとした二人を見て、春海は寂しさを感じた。
幼い頃から押さえていた感情が一気に噴き出した。
春海の頬を涙が一筋伝った。
「あの・・・おれは?」
二人にさっぱり相手にされず、春海はそっと涙を拭った。
ふと手を見ると、その手は殺人でも犯したように赤く血塗られていた。
床には誰かが倒れていた。
そこにいるのは・・・進?!なんてことだ・・・
春海はまた寝返りを打った。
すると、そのとき頬にやわらかい手を感じた。
誰かが自分の名を呼んでいる・・。
「・・み。春海。起きて・・。あたしの声聞こえる?起きてにょ、起きて・・。」
うまく声が出ない。
喉が渇いて今にもひび割れそうだった。
春海はいるかの名を呼び、そっと彼女の手をとった。
「ん・・。いるか?」
夢だったのか・・。
春海の悪夢は終わった。