探偵ごっこ
後編
4
「…本当に悪いと思っているよ」
三時間目と四時間目の休み時間。いるかは生徒会室に、春海に呼び出された。春海に謝罪したい気持ちもあり、すぐに応じた。
床に目を落としたまま、いるかは思いつく限りの謝罪の言葉を述べた。春海は、なにやら見慣れない大きな茶封筒を手にして机の上に腰を下ろしてた。
「本当に、そう思っているのか」
「こんな展開になるとは思っていなかったし…玉子にも随分と云われた」
今朝の役員会の後,、玉子にも注意されたのだ。売り言葉に買い言葉の結果であったが、どうやら、自分は事の重大さを認識していなかったらしい。さすがに後ろめたさを感じずにはいられなくなった。
「あたしが、云い出さなかったら、春海が引き受けることもなかったかもしれないし、そもそも、生徒会の仕事として、簡単に引き受けることでもなかった気もする」
少々、気まずい沈黙が、その場に流れた。
「もういいよ」
春海が、軽いため息の後、そう云った。いるかは顔を上げた。
「ホント?」
「……」
そして、春海が手にしていた茶封筒を見ると、
「何、その封筒は?」
「……内緒」
封筒は生徒会のものではないような気もしたが、普段から生徒会の仕事を怠慢にしているいるかには、よく分からなかった。
「本当は、なんなのよ?」
「さっき、送ってもらった資料。誰かさんのせいでさ。至急、調べてもらったんだぞ」
「何を?」
いるかは更に訊く。
「今は、教えない。それより、本当に反省してるのか」
春海は手にしていた茶封筒を机の上に置くと、立ち上がり、いるかの腕を掴んだ。そして強引に自分の胸元へ引き寄せた。
「ちょっと…」
廊下からは生徒達のざわめき声が、途切れ途切れに聞こえる。そのまま、抱きすくめられたいるかは、慌てながらも春海の腕を振りほどこうとすると、
「どれだけ、俺の仕事を増やせば気が済むんだ」
「ちょっと…」
身をよじらせたが、春海の力は緩まない。胸の鼓動が耳の奥でトクトクと響く。
「…人が来るよぉ」
「大丈夫」
本当かどうか分からないが、もうそれを信じるしかない。春海のことだから部屋の内鍵をかけているのかもしれない。
「…これって、ずるくない」
「お前にそんなこと、云われたくない。」
相変わらず、慣れないいるかの口を、春海はふさいだ。
「狭いなあ」
「ちょっと、巧巳、そんなに寄らないでよ」
生徒会室の後ろには所狭しと、ダンボール箱がいくつも山積になっていた。中身は生徒会資料がほとんどであった。そのダンボールの影に、いるか、玉子、巧巳は身をひそめるように座った。
さきほどの生徒会室での出来事がまるで嘘のような気がした。
ふと、見上げると、春海が引きつった顔で立っていた。
「ベタベタするなよ。巧巳。俺が、今回どれだけ苦労しているの分かっているか」
春海はそう云いながら巧巳をにらみ付けた。
どうして自分だけを睨みつけるのかと、訊きたい様子の巧巳であったが、それは口にはしなかった。
「ワルイな…春海」
「頼むから、静かにしてくれよな。こっちは大変なんだから」
釘を刺すように春海がそう云った瞬間、扉が遠慮がちにノックされた。
来たと、その場にいた全員が思った。
「あのぅ…山本君」
島崎由香は、緊張した面持ちで生徒会室に入ってきた。春海が放課後に生徒会室に来るように頼んだのだ。予定通りだ。
「悪いね。いきなり、こんなところに呼び出して」
先程までの声とは違う優しいトーンであった。由香は緊張感が解けたのか、幾分、安堵感を覚えたようだ。
「実は少し訊きたいことがあるんだ。ほら、君とは同じクラスだけど、あまり話す機会もないし」
「用件って、何かしら」
春海は由香に背を向け、黙って窓の方を見つめていた。暫くの間、生徒会室には沈黙が流れた。沈黙を先に破ったのは由香の方であった。
「私の事を皆が噂してるでしょう。その事でしょう」
やはり、本人なりに察しはついているらしい。
「でも、本当は違うんだろう」
由香はこくりと頷く。しかし、その瞳にはあいまいな意味合いが含まれていた。
「じゃあ、どうして、本当のことを云わないんだ。いいかげんな噂を流されて、君だって困るだろう」
春海は言葉を続ける。
「週刊誌の写真の生徒は君に間違いないね。中年の男性と頻繁に会っているのは間違いないね」
由香は無言である。
「相手の男性は君の恋人?」
由香は力なく首を振る。
「じゃあ、父親かい?」
「違う」
即答であった。
「『恋人』でも『父親』でもないのかい…じゃあ、少し云い方を変えようか」
春海は厳しい表情をしながらも、複雑な瞳で由香をの方を見つめた。
「写真の男性は、君の『本当』の父親だろう」
その言葉に明らかに由香は狼狽した。
「戸籍を調べさせてもらったよ。君は現在の家庭はとても円満そうだね。一緒に暮らしているの今の父親とも、とても仲がいい様だね。あと、妹が二人いるね。一人は里見の中等部、もう一人は小学生だ。でも、本当の父親にも会ってみたくなったんじゃないのか」
春海は茶封筒から数枚の紙を出した。どうやら、由香の戸籍らしかった。先程、いるかが生徒会室で訝しげに思った封筒の中身である。
「君の両親が離婚したのは君が三歳の時。その後、すぐ、母親は再婚。ずっと、今の父親を本当の父親のように慕っていたみたいだね」
由香は戸籍まで調べられたことを知り、かなり困惑しているようであった。
「…離婚したのは事実だけど、本当の父親のことは覚えていないし、会っていない」
「昨日、君とお父さんが歩いているのを俺達は見たんだよ。本当のことを云わないのは、妹に、異父姉妹だと知られたくないからか。…でも、本当の理由はそんなことじゃないね」
「本当の理由って…」
「『麻耶太一』という名前だね。君の実父の名前は」
「なっ… 」
その名前が出た瞬間、明らかに由香の顔色が変わった。俯いたまま、強く頭を振った。 春海は封筒から数枚の写真を取り出し、由香に手渡した。震える手で由香が受け取る。
「売春云々の噂以上に、知られたくない秘密があるからだろう」
一体、どこまで調べあげてきたのだろうと、巧巳は思った。島崎由香の現在の家族や離婚した父親の話まで、よくもまあ、短時間で調べあげたものだ。相変わらず手回しの良い奴だなと、思った。昨日のホテル街での目撃の際、巧巳も相手の男の顔はちらりとは見たが、顔写真まで入手するのはどういう方法だろうか。おそらく、代議士である父親のコネをつかったのだろう。
だが、『麻耶太一』という名は、どこかで聞いたことがあるような気がした。
「君の実父の名前が、『麻耶太一』だと知った時に思い出したよ。少し変わった名前だからね」
由香は春海の視線から目をそむけ、どう対応するか考えているようだ。
「君が云いたくないなら、かまわない。もう、事件そのものは終ったことだし、君の売春云々という噂も、そのうちに消えるだろうしね。ただ、もうこれ以上、制服姿で行動するのは差し控えてほしい」
もう少し優しい言葉を選ぶべきなのだろうが、最後に自然と出てきたのは冷静な生徒会長としての意見であった。
一体、なんのことだろう、と、いるかは首をかしげた、同じくダンボールの影に隠れている玉子を見たが、自分と同じように理解不能の面持ちである。しかし、巧巳は思い当たるふしでもあるのか、なにやら考え込んでいるようだ。
「あっ…!」
小さく巧巳が声を上げた。思わず、出てしまったが、これはまずかった。
由香は驚き、小さく悲鳴を上げた。
「誰かいるの」
春海は、舌打ちしながら、
「もう少し、静かにしていてくれよな。で、巧巳も思い出したのか」
「ああ……『麻耶太一』だろう。思い出したよ」
ダンボールは箱の陰から、巧巳が出てきた。続いて、玉子、いるかも。
由香は心底、驚いたといった表情で、突如、現れた三人を見つめていた。
「悪かったね。元々、この件は学校側から依頼されたものなんだ」
「噂の真相究明ってとこかな」
巧巳が続ける。
由香が怒るかと思ったが、驚いただけだったようだ。疲れきったあきらめの表情でいるか達を見つめた。
「学校側にも、迷惑かけていたんだね」
「噂はすべて、嘘だろう。ただ、実の父親に会っていることを知られたくなかった。それは今の家族に知れれたくない以上に、里見の関係者に知られたくなかった。なぜなら、君の実父は…」
「ちょっと、待ってよ。全然、話が分からないよ」
肝心のところで、いるかが声を上げる。
「ごめんね。春海が酷いことばっか、云ってさ。確かに、学校側から、島崎さんの事について、訊くように頼まれてたんだ。でも、もうちょっと、訊き方があるように思うよ。ほら、あやまんなよ。春海」
「なっ…!」
春海は、怒りで自分が震えるのが分かった。何故、肝心なところで邪魔をするのだろう。さすがに苛立ちを隠せなくなった。しかも、一番、重要な部分で。
「おい、いるか、お前は黙っていろ」
「なんでだよ」
「玉子、こいつを黙らせてくれ」
「分かった」
いるかの口をの玉子もいるかと同様、話の筋を理解できていないのだが、今、自分に課せられた仕事だけは分かっていた。玉子がいるかの口を押さえようとした時。由香が首を横に振った。
「もう、いいよ。私の本当の父親は、犯罪者だもの」
玉子の手が驚きで一瞬、緩んだ。
「犯罪者って…?」
押さえられていた手が緩んだこともあり、いるかは思わず声を出した。
「どういうこと…」
「もう、十年以上前のことだな、春海」
巧巳が云う。春海は軽く頷く。
「…私が云う。私の本当の父親は、この里見学習院の前々校長の殺人未遂で逮捕されていたの。出所してきたのは最近。私は事件について、ずっと知らなかったし、事件そのものも母と離婚した後のことだった」
「正確な事情や事件のあらましまでは、今は省略するが、里見の前理事長が校門前で襲われたことは、わりと、知られた話だ。犯人もすぐに逮捕されて、事件は解決したがな」
「それにしても、よく、里見に入学する気になったな」
「母は離婚後、旧姓に戻ったし、事件そのものも、父と母が別れてから三年後だった。私自身、今のお父さんと血が繋がっていないことも知らなかったくらいだし。ただ、本当のお父さん事を知ったとき、会いたいと思った」
「今の家族には、会っているとは云えなかったんだな」
由香は小さく頷く。
「小さい頃の記憶が曖昧で、母が以前に結婚していたのは知っていたけど、私が、今のお父さんの子でなかったのを知ったのは、去年なの」
「修学旅行のパスポートを取った時に戸籍を見た時か」
「そう」
大体、自分の戸籍を見る機会などそれほどないはずだと、春海は思っていた。
「すごく、ショックで母にはすぐに訊いた。すべてを知ったけど、本当の父の居所は教えてくれなかったの。あたりまえだよね。刑務所に入っていたんだもの。でも、今年、高校に入ってから、お父さんが出所して来たから、会うようになった」
由香はゆっくりと言葉を続ける。
「お父さんが出所してきて、初めて会った時、懐かしいと思った。顔も全然、覚えていないはずだったんだけど、ただ…」
「ただ…何」
「声は覚えていた。記憶の中にあった。知らない声じゃなかった。なつかしくて、心地よい声だった」
5
「…なつかしい声かぁ」
いるかは窓の外を見ながら呟く。放課後のグランドでは寒さの中でもクラブ活動が盛んに行われていた。
「小さい時の記憶って、何らかの形で残るもんだね」
「彼女も三歳まで、一緒に暮らしていたから、覚えていたんだろう」
生徒会室で、キャビネットに書類を片付けながら春海も頷く。
「なんか、かわいそうな事をしたね」
島崎由香は、最後には泣き出した。これ以上、話ができないと判断した春海は、玉子に由香を自宅まで送るように依頼した。
「でも、十年前の事件って、よく分かったね。戸籍とかもすぐ、調べられたし」
「戸籍を取るのは、おやじの秘書に頼んだ。かなり、不審がられたけど仕方がなかったしさ。あと、十年前の里見の前々校長の殺人未遂事件は、結構、有名だぞ。園田校長の前だ」
結局、由香から話を訊けるような状態ではなかったし、そのような事件が十年前にあったことすら、いるかは知らなかった。
「事件は十年前。校門前で前々校長が、一人の男に鋭利な刃物で刺されたんだ。致命傷にはならなかったし、すぐに男も逮捕された」
「それが島崎さんのお父さんでしょう」
春海は頷く。
「なんで、そんなことをしたの」
「当時の新聞では、金銭関係による怨恨と報じていたみたいだけどな。もう、事件は終って、彼女の父親も出所して来たんだから、それはもう俺達には関係ないさ」
「そうなんだ。あたし、知らなかった。それって、あの園田校長の前の校長になるんでしょう。よく知らないけど、園田校長のイメージがあるから、なんか腹黒いカンジがするけどな」
いるかは、リコール騒動の前の園田校長の顔を思い浮かべた。
「まあ、とりあえず、今回の件は、『噂の女生徒は、実の父親と会っていただけ』と、里見理事長には報告しとこうか」
やれやれと、春海は云う。やっと、肩の荷が下りたようだ。
「ねえ、うちの学校って、戸籍とか入学の時に提出しないの」
「しないな、普通は住民票だけだからな」
納得したいるかであったが、もう一つ疑問あったのを思い出した。昨日の夕刻、偶然に由香と実父をホテル街で目撃したことについて、春海に疑問を投げかけてみた。
「ああ、父親の住所が、あの近くだったから、家に遊びに行ったんじゃないのか」
春海はすぐに答えた。
「そっか、なんにも、やましいことなんてなかったんだ。かわいそうだね。変な噂ばっか立てられて」
いるかは窓の外を見つめながら呟いた。
「今度、行ってみるか」
春海が突如、云った。
「へっ…どこに」
春海の方を振り返ったいるかは、きょとんと目を開いている。どうやら、言葉の意味が伝わっていないらしい。
「今度は、私服でさ」
「なっ…」
次の瞬間、春海はいるかに殴られ、蹴り倒された。腹部に命中した膝蹴りは、鈍い鈍痛をもたらした。バランスを崩した春海は、そのまま、後方に倒れこんでしまった。
これは、殺人未遂に相当するかもしれないと、薄れていく意識の中で思った。
「一体、何があったんだ」
生徒会室に戻って来た巧巳は、春海の顔を見るなり、呆然と立ち尽くした。なにかしら、惨劇に見舞われたのだろうかと、一瞬、本気で思った。
春海に、生徒会室にあった大量のダンボール箱を、片付ける様に頼まれたので、素直にそれに従って時間をかけて部屋に戻ってくれば、この有様である。
「……」
「また、変な事をしようとしたんだろう」
おおよそ察しはついていた。巧巳は春海の肩に手をまわしながら、小声でそう尋ねた。
「なに、話してるのよ。もう、帰るよ」
その口調は明らかに怒っていたが、幾分、春海の事を心配している様子も含まれていた。
「いるか、許してやれよ。春海、今回、すごく頑張っていたしさ」
「巧巳にそんなこと、云われたくない」
いるかは、ぷっと頬膨らませ、巧巳も睨みつけた。
「まあ、俺がフォローすることもないしな。お前らって、ホントに面白いよな」
巧巳の笑い声が生徒会室に響いた。
了
みじんこさんの初作品は
今までどなたもあまり公開していなかったサスペンスタッチのもの。
いただいた文章が長いということももちろんありましたが
私はこれはぜひ前後編に分けたいと思ったのです。
推理小説を読むようにはらはらしながら続きを待つのって
きっと楽しいと思ったものですから。
倉鹿編に比べて短かった東京編ですが
もしあのまま連載が続くなら
こんな風に一話完結、生徒会を中心にした事件簿のような形の物語になっていくのも
いいなと思いませんか?
春海(頭脳担当)にいるかちゃん(体力と出たとこ勝負担当(笑))、
巧巳は女の子相手の聞き込みは上手そうだし(笑)
晶や近衛道君も加わったら面白いことになりそう♪
いるかちゃんもそうでしたが
ひどい噂を立てられてもそれに耐えることができるのは
信じるものが、守りたいものがあればこそ。
由香さんはいるかちゃんの気持ちが、
いるかちゃんは由香さんの気持ちがわかったんじゃないかと思います。
眉を顰めるような醜聞が父に会いたいという少女らしい優しい思いから出たのだとわかったとき
事情を知った人は誰も彼女を守りこそすれ責めることはできないですよね。
こんな事件をきっかけにいるかちゃんも春海も
少しずつ大人になっていくのかなと思いました。
一方いるかちゃんは相変わらず手が早くて
巧巳はじめ最後には春海も犠牲になってしまっていますが
こんなところも彼女らしい♪
思わず「バキッ!」というとってもいたそーな効果音が頭の中で鳴っていました(笑)
二人の恋模様が静かに進行していくのも素敵です。
高校生らしい、仲間とも恋人とも呼べるような二人がもつひそやかな時間にどきどきします。
前編の背景には暮れ行く陽を浴びた「里見学習院」を。
後編には学院内部、生徒会室へ至る廊下をイメージしたものを選ばせていただきました。
学校内部の写真というのはさすがになかなかなくて
探すのがちょっぴり大変でしたが
その苦労を苦労と思えないほどの長い力作でしたもの!
みじんこさん素敵なお話をありがとうございました!
水無瀬