地上の星




うららかな春である。

この校舎ともあと数週間でお別れ。
入学したのがずいぶん前のようにも、つい昨日のようにも思える。
梅の香りがほんの少し開けられた窓から入ってくる。
銀杏の樹も芽吹き始め
長かった冬にもうじき別れを告げる。
程よく効いた暖房に
受験の呪縛から逃れた教室。
生徒たちはあとわずかを残すのみとなった高校生活に
かすかな感傷をのこしつつ
まどろみからさめるのを待つ動物たちのように
おとなしく穏やかな日差しのなかで教科書を開いていた。

如月いるかは例によって―――

腕を枕にうたたね中だった。
穏やかな陽気に眠りを誘う教師の声。

…すずめのこを いぬきがにがしつる 
ふせごのうちに こめたりつるものを…

源氏物語の若紫の巻である。

雀の子を犬君が逃がしてしまったの。
伏籠の中に閉じ込めてあったのに…

朗々と読み上げる古文の教師の声がちょうどよいBGMとなって
いるかがいま少し深い眠りに入っていこうとしたそのとき。

「3-1の如月いるかさん、3-3の山本春海くん、至急理事長室に来てください…
繰り返します。3-1の如月いるかさん、3-3の山本春海くん…」

授業中の校舎に時ならぬアナウンスが流れた。
昼休みなどに聞く放送部員の声ではない。
里見松之助理事長その人の声だった。

いきなり呼ばれた自分の名前にいるかの眠気はすっかり覚めた。
松之助じーさんと親しみをこめて呼ぶこの学院の理事長に
こんな形で呼ばれることなど今まで一度もなかったのだ。
しかも春海と連名で呼ばれるなど、一体何が・・・?

とりあえず急いで理事長室に向かっていると
同じく訳がわからないといった顔の春海と踊り場で出会った。

「理事長室」とかかれた重厚な扉を春海がノックする。
どうぞ、という声に促されて春海は扉を開け、いるかを先に中に入れ自分も続く。
理事長その人は部屋の雰囲気にまったくそぐわない相変わらずの作業着姿だったが
部屋の中にはもう一人、対照的な隙のない身だしなみの人物がいた。

「お父さん……どうしてここに?」

息子の問いかけを制して
彼は視線をいるかに向けた。

「いるかさん…今簡単に理事長にはお話したのですが…
どうか落ち着いて聞いてください。」

「は…はい…?」

いつになく厳しい表情の山本代議士に、いるかは思わずつばを飲み込んだ。


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