馨子さま作

喪失の時間




6 【疑惑】



 喫茶店を出た二人は佐伯に送ってもらい、如月邸に帰り着いた。

着替えを済ませ、春海はリビングに、いるかはキッチンで夕食を作る葵の手伝いをしていた。



春海は夕食の支度が整うまでの間、リビングで生徒会の書類に目を通していた。

新入生に向けての各部活の紹介セレモニーの企画書である。

来年度の行事ではあるが、新学期早々に行われる為、今からの準備でなければ間に合わないのだ。



里見では、生徒会役員に選出されたとしても、3年生は生徒会長、および副会長の役職ははずされる。

つまり、この仕事が春海が生徒会長として行う仕事としては最後のものとなるのだ。



体育館の舞台という狭い空間をどう使うか、短い時間で新入生にどう自分達の部をアピールするか、毎年、各部頭を悩ませるところであるが、なかなか工夫を凝らした企画が並ぶ。

サッカー、野球、水泳、吹奏楽、演劇・・・・・・・

そして、最後になったのは剣道部の企画書だった。



『剣道か・・・俺も久し振りに竹刀振りたくなったよ。』



ふと、庭に目をやる。



『ここなら、竹刀振れそうだし。でも、最近、俺も竹刀振ってないしなぁ。いるかとやったら一本取れるかどうか、ヒヤヒヤもんだな。』



苦笑しながら、再び剣道部の企画書に目を戻す。



が、また別の考えが浮かんできた。



『そういえば、いるか程のヤツがどうしてあの時・・・・・』



「春海ぃー、ご飯できたよぉ。」



「わかった、すぐ行くよ。」



春海の思考はそこで中断した。















 「葵おばちゃん、これおいしーね。」



徹は、大きな口を開けてハンバーグを頬張る。



「ホント? おばちゃん、腕をふるった甲斐があったわ。沢山あるからいっぱい食べて。」



「うん、ありがとう。僕、外で食べるハンバーグって好きじゃないんだ。なんかどこで食べてもみんな同じ味がするんだもん。だから、藍おばさんの作ってくれたものしか食べないんだけど、葵おばちゃんの作ってくれたハンバーグも美味しいよ。」



「そういえば春海、二人ともこっち来ちゃったけど、藍おばさんどうしてるの?」



「あれっ、言わなかったっけ? 藍おばさん、先月から休んでるんだよ。一緒に暮らしてる娘さんが出産したからその世話で。」



「えっ、じゃあ食事とかどーしてたの?」



「別に自炊が出来ないわけじゃないし、どうしても時間がない時は、外食や弁当買ってきたりはしたけどね。」



「あら、それなら、しばらくここにいればいいじゃない?」



「えー、ホント? ねえ、ホントにいいの、葵おばちゃん?」



「もちろんいいわよ。」



結局、葵と徹に押し切られた形で、山本兄弟の滞在が決まった。



とはいえ、年度末で生徒会、部活、勉強と以前にも増して忙しい春海にとって、この提案は渡りに船ともいえた。

それに、いるかと過ごす時間も増える。





「この筑前煮、美味しいですね。」

内心のうれしさを隠すかのように春海は言った。



「ああ、それ、いるかが作ったのよ。」



「えっ!」



「えっ!とはなんだよー」

いるかが唇を突き出して不平を言う。



「あ、いや、別に・・・・・・」



「ハンバーグに煮物なんておかしいかもしれないけど、鉄之介さん、メインが洋食だろうがなんだろうが、煮物が食卓にないと怒るのよ。」



「しょうがないだろう、日本人なんだから・・・」

鉄之介が珍しく不平を言う。



「でも、そうすると海外赴任の時とか大変ですよね?」



「赴任より、出張の時の方が大変。赴任ならね、最近は味噌とか醤油も海外のスーパーでも扱ってるし、何とかかなるんだけど、出張中はホテル滞在がほとんどでしょ、だから作るわけにいかないし。日本食のレストランもあるけど、こういう家庭料理を扱っている処ってなかなかないから。」



「さっきの徹君じゃないけど、何食べても同じ味がしてねー。このときばかりは外交官って職を選んだことを後悔するよ。でも帰ってきてから食べる日本食はまた格別だかね、それを楽しみに仕事に励んでいるって感じかなぁ。」

鉄之介はそういいながら、愛娘お手製の筑前煮に箸をのばす。



「でも、いるかちゃん、ホントにこれ、美味しいよ。これなら、すぐにでもお兄ちゃんのお嫁さんになれるね。」



「ばっ、ばか、徹、お前何言って・・・」

「と、と、徹君ってば・・・・」



二人同時に赤くなる。

だが、約一人、二人とは対照的に青くなっていたことに誰も気づきはしなかった。













風呂上りに水分を求めて、いるかは冷蔵庫のミネラルウォーターを取り出す。

キッチンとは続きになっているリビングでは、書類に目を通す春海がいた。



「春海何してるの、こんなところで。勉強?」



「あ、いや、新入生向けの部活紹介の企画書。今日、全クラブの書類がそろったんだ。」



「そっか、もうそんな時期なんだね。」



「ああ。あっ、いるか悪いけど俺にもそれくれないか?」

春海はそう言って、いるかが手にしているミネラルウォーターのボトルを指さす。



「えっ、ああ、これ? 冷蔵庫にあるから持ってこよ・・・」



「これでいいよ。」

春海はさっきまでいるかが飲んでいたボトルを奪うと、のどを鳴らすようにして飲んだ。





「ふぅ〜、うまかった。サンキュ。」



「あ、うん・・・・」



「それにしても、いいよなぁ。お前んトコ。」



「えっ?」



「あんなににぎやかな食卓って久しぶりだったから・・・」



「―――あっ」



『そうだよね、春海と徹君のお母さんはもうずっと前に亡くなって、お父さんは不在がち。あの広い倉鹿の家で春海と徹君とでどんな風に過ごしてきたんだろう・・・』

いるかは、少し暗い表情で俯く。



「こらっ、そんな顔するなって。別に悲観して言ってる訳じゃないさ。これから作ればいいんだし。」



「えっ?」

いるかはうつむいた顔を上げ、春海を見上げる。



「俺達でさ。」



「は、はるうみ・・・」



「嫌か?」



「嫌なんかじゃないよ・・・・」

消え入りそうな声で呟く。



春海は、風呂上りのまだ湿り気のあるいるかの髪をそっと引き寄せる。





「中埜さんは、突然全てを失ってしまったんだな・・・・・」

ややあって、まるで独り言のように春海は呟いた。



「春海?」

呼ばれて、春海はいるかに視線を向ける。



包帯を外したその額には、生々しい傷跡が残っている。

一歩間違えばと考えると、足元が崩れるような感覚に襲われる。

いるかにもしもの事があったならば、正直、正気でいられる自信はない。



すざましいほどの形相で捜査に没頭していたという中埜の心情を春海は痛いほど理解できた。













 翌日学校を終えた二人は、病院へ赴いた。

いるかの診察の為だ。



春海は、その間に自分と徹の分の着替え、勉強道具を取りに自宅マンションへと向かった。

春海が病院に戻ったのはそれから小1時間ほど経った頃であったが、まだ診察が続いているのだろうか、待合室にいるかの姿はなかった。



春海は、適当に空いた椅子を見つけて腰をおろす。

ふと思い出して、ポケットに入れていたキーホルダーを取り出した。

いるかのネックレスと対のキーホルダー。



そして、自宅の留守電に入っていたメッセージを思い出した。







「山本春海様のお宅でございましょうか?私は銀座にございますジュエリーショップ T社 の猪原と申します。実は、昨年、山本様が御購入くださいましたネックレスのペンダントヘッドが落し物して届けられております。一度ご来店下さいます様お願い致します。」



春海は、折り返し猪原に電話し、不在を詫びた後、その詳細を聞いた。



それによると、拾ったのは会社帰りのOLで、何か光る物に気づいたという。

手にしたペンダントヘッドのイルカには、ジュエリーブランドとして名高いT社のロゴマークがあり、また、若い女性というだけあってその辺りの情報に詳しい彼女は、これが昨年のホワイトデー用にT社の限定品として販売されていたことを知っていた。

そのため、警察に遺失物として届けるよりは販売元に届けた方が落とし主を見つけやすいのではないかと判断したとの事だった。



T社はデザイン性だけでそのブランドを保っているわけではない。

その顧客管理にも定評があった。

販売しているジュエリーには全てシリアル番号がふってあり、いつ、どの店で、誰が購入したがすべて、コンピューターで管理されていたのだ。



届けられたペンダントヘッドのシリアル番号から購入者を割り出し、春海に連絡がいったというわけだ。



春海は、明日訪れる旨を伝え電話を切った。















「何を見てるんだい? 春海君」



「えっ、ああ、中埜さん。」



「ああ、それ、もしかして、いるかちゃんのネックレスとお揃いなんだね?T社のだろ?」

少しからかうような口ぶりで言った。



「ええ。それより、どうしたんです? あっ、ひょっとして僕達に何か?」



「ああ、ちょっと見てもらいたいものがあってね。」



「そうですか。今日はお一人なんですか?」



「いや、佐伯と一緒だよ。駐車場が少し込んでいてね、車を停めたらすぐ来るよ。」



そういって病院の出入り口に目をやると、ちょうど佐伯が院内に入ってくるところだった。



「よっ、春海! いるかちゃんはまだ?」



「ええ、でも、もうそろそろじゃないかと・・・」

言い終るか、終わらないうちに春海の後ろからいつもの元気な声が聞こえた。



「おまたせ、春海! あれっ、佐伯さん、それに中埜さんも。来てたんですか?」



「ああ、今、来たとこだよ。すれ違いにならなくてよかった。どう、診察の結果は?」



「うん、もう大丈夫だって。強く押したりしない限りは傷も痛くないし。でも、事件のことはまだ・・・・」



「そっか、それについては医師は何て?」



「人間の記憶に関する事はまだまだ未知の部分が多いんだって。“体の回復とともに記憶も取り戻す”っていってもそれはそういった症例が多いだけで、絶対とは言い切れないって。何かの衝撃で突然思い出すってこともあるらしいけど・・・・・」



「ふーん、そっか・・・。記憶を呼び起こすきっかけになればいいけど、ちょっとこの写真の男を見てくれるかな。」

佐伯はそういって一枚の写真を取り出す。



「誰?」



「殺された葉山のチンピラ仲間で鬼沢って男。ゆすりとかたかりとか葉山とつるんでやってたらしんだけど、葉山が殺された直後からその姿が見えないんだ。殺された前日に大喧嘩してたって情報もあってね。」



「どうだ?いるか」

一緒に写真を見ていた春海が尋ねる。



「う〜ん、思い出せない。でも、なんかもっと怖かった気がする・・・・」



「もっと怖い? 鬼沢だって充分怖い顔してると思うけど。」



「ううん、そうじゃないの。もっと心の奥底からくる怖さみたいな。あー、なんて言ったらいいかわかんないや。もっと冷たくて、人間の心などまるで感じさせないような、冷酷っていうのかな・・・・あっ、でもそれはそんな感じがするっていうだけだから、確かなことは言えないんだ。ごめんね、佐伯さん。」



「それはしょうがないよ。まっ、鬼沢をパクればわかることだからさ。それより、もしこの鬼沢が犯人なら、いるかちゃん、充分気をつけなきゃいけないよ。春海もこの男がいるかちゃんの周りをうろつくことがあるようならすぐに俺たちに知らせてくれよ。」



「ええ、わかりました。」

春海は再度写真を手にし、鬼沢という男の顔を頭に刻み込んだ。



「もう、診察は終わりだろ? 帰るんなら送るよ。」



「ホント? 助かる〜。この時間って電車のラッシュすごいんだよねぇ。」

「こら、いるか。ったく、すいません。じゃあお言葉に甘えてお願いします。」

春海は軽く頭を下げた。



六段の如月邸に二人を下ろし、佐伯と中埜は警視庁へと戻って行った。

いるかの後に続き、門をくぐったところで春海はふと立ち止まる。



『そういえば、あの時どうして・・・・・』

春海は振り返り、もうすでに姿のなくなった車の方向を見つめた。



「春海、どうしたの?」



「あ、いや・・・・」



「ただいまぁー」

いるかの元気な声が玄関に響いた。



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